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 山室 悦子(本名:ゑつ)      明治19年(1886)6月2日〜昭和12年(1937)2月17日
 救世軍日本司令官山室軍平の後妻。
 山室軍平の妻・機恵子の死後、後妻となり、残された子らを育てると同時に事業に参加した。

<生い立ち> 
 悦子は、愛知県海部郡甚目寺村で水野半五郎とつうの三女として生まれた。
 名古屋市立第一高等女学校を卒業後、一時、郷里で教職に就いた。

<上京> 
 大正2年(1913)、上京して救世軍士官学校に入校した。翌年には麻布小隊長として活躍した。同4年には士官学校の教官となった。

<結婚> 
 同6年11月1日、銀座教会堂で山室軍平(45歳)と結婚した。悦子(31歳)は、一挙ににぎやかな子沢山の母親になった。悦子自身も実子2人を含めて子育てをした。悦子がうんだ子は、五女・徳子(大正7年生)と五男・潔(大正10年生)である。

 家庭団、愛隣団、日曜学校教育など、実践的な伝道と奉仕に献身して、軍平より先立って53歳で死去した。長男・武甫がまとめた『山室軍平伝』の山室軍平年表には「妻機恵子永眠」と「水野悦子と再婚」の記述はあるが、悦子の死去した記述が漏れている。理由は分からないが寂しく感じる。

<やりかけ>
出 典 『山室軍平伝』

山室悦子 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yamamuro_e.html

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