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渡辺 鶴代          明治16年(1883)1月30日〜昭和47年(1972)4月16日
 大正〜昭和期の社会事業家。兵庫県に生まれる。

 明治38年(1905)、神戸女学院普通科を卒業。同年から岡山で社会教化事業に従事し、同44年(1911)から宮崎女学生ホームの舎監となる。

 大正7年(1918)、神戸養老院の創立者・寺島ノブの死没後、その娘で同級生だった近藤君枝に請われて同園の主任となる。

 昭和19年(1944)、理事長となり、戦後の苦難時代を乗り切り、中島航空機社長宅を買収して住吉分院を増設、整備した。同46年に神戸老人ホームと改称し、長男の妻・敏子と協力して運営にあたった。

 89歳で死去
渡辺敏子
(長男の妻)
 大正5年(1916)6月26日〜昭和50年(1975)4月27日
 昭和期の社会事業家。
 昭和9年(1934)兵庫県立第一神戸女学校、同3年奈良女子高等師範学校数学科を卒業して母校の神戸女学校の教諭になる。
 神戸養老院理事長・渡辺鶴代の長男と結婚。
 昭和21年(1946)、鶴代を助けて同養老院の主任となり、同27年に常務理事兼院長となる。老人福祉の推進につとめ、兵庫県下の老人福祉施設の中心的まとめ役として働いた。昭和25年(1950)全国社会事業大会に兵庫県代表として出席して「としよりの日」制定を提唱した。これがのちの「敬老の日」制定のきっかけとなった。
神戸養老院創立70周年記念事業として特別養護老人ホーム友愛苑を設立した。58歳で死没。(出典:『女性人名』)
出 典 『女性人名』
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/news/colum01/010509c.html
http://www1.doshisha.ac.jp/~mtanaka/csmokuji.htm