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 和田 まつ     嘉永2年8月(1849)〜大正7年(1918)10月6日
 明治期の伝道師。

 小田切久兵衛・きよの長女として甲府に生まれた。
 明治7年(1874)和田富八と結婚した。折合いが悪くて疎遠になっていた実弟・諏訪茂七が、ある年の秋、まつを訪ねて来た。秋蚕の飼育を親切に助けてくれたので、その変化に驚いたまつは弟に尋ねた。すると、キリストを信じたからだ、との答えが返ってきた。まつは驚きとともに神の力を感じて信仰に導かれた。

 文字の読み書きができなかったまつは、懸命に勉強してキリスト教書を読み、夫とともに明治5年(1872)8月13日にメソジスト甲府教会で平岩愃保から受洗した。

 同8年(1875)8月、甲府教会の献堂式が挙行されたとき、ミス・スペンサー,M.A.の勧めで婦人伝道者を志願した。そのときの試験答案は淺川良太郎に代筆してもらってパスしたという。

 甲府市に明治11年(1878)にキリスト教会が建つ、と市史に記録が出ている。

 甲府の製糸工場で女子工員のストライキが起こったとき、彼女らに伝道をした。
 甲府医学所の青年らを世話し、また常に数名の中学生らを預かり、優れた人材を育成した。

 有志により、教会墓地に記念碑が建てられた。
出 典 『キリスト教歴史』  『甲府教会百年史』  『恩寵の追憶』

山梨県のホームページ http://www.pref.yamanashi.jp/syokai/rekishi/meiji1.html