韓国における孤児収容施設「共生園」経営者。
千鶴子は、田内徳治を父とし、安岡ハルを母として高知市若松町に生まれた。事情があって、両親は正式に結婚していなかった。家族制度のやかましい時代であったために高知市に居辛くなった父・徳治は、千鶴子の誕生を待たずに朝鮮に職を求めて日本を去った。
そのころの日本は、日韓併合条約により韓国を支配下に置いていた時代であった。
父・徳治は韓国で職を見つけて生活が安定したので、大正7年(1918)安岡ハルと千鶴子を木浦に呼び寄せた。千鶴子が7歳の秋だった。
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