田辺 夏子 明治5年(1872)6月10日〜昭和21年(1946)12月7日 |
明治期〜昭和期の歌人
《生い立ち》
東京生まれ。
東京日本橋の鳥問屋の伊東家の娘として生まれた。
《萩の舎の三才媛》
11歳で中島歌子の萩の舎に入門した。当時、中島歌子は明治期の歌人で、小石川安藤坂に家塾萩の舎を開いて和歌、古典、書道などを教授していた。
萩の舎では樋口一葉と三宅花圃が同門であった。
樋口一葉は14歳で入門したが、夏子は樋口一葉と同じ明治5年生まれであり、なまえが同じ「なつ」で、また三宅花圃の旧姓が「田辺」であり、夏子の嫁ぎ先「田辺」と同じであることなどから萩の舎の三才媛と称された。
明治25年(1892)駿河台英和女学校を卒業した。この女学校は、宣教師・キダーが森有礼の支援のもとに開設したキリスト教主義の女学校であった。夏子は、キダーの感化を受けてクリスチャンとなり、基督教青年会に入会した。英語が堪能で、晩年まですぐれた才能を発揮したといわれていたが、英語は、駿河台女学校仕込みであったと、いえよう。
《結婚》
明治31年(1898)に陸軍将校田辺某と結婚した。
《著作》
著書に『一葉の憶ひ出』(昭和45年)がある。
山口市で死去した。
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出 典 |
『女性人名』 |
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