最初のもくじ(index)に戻る 


 
     炭谷 小梅      嘉永3年(1850)〜大正9年(1920)11月17日  
 明治〜大正期の社会事業家。

 備前国岡山城下に生まれた。父は、城下町の薬師院の執事。早く両親と死別。祖母とともに叔父に養われる。
 5歳ごろから踊り、三味線を習い、17,8歳には弟子を持つ師匠となる。

 生活のために芸者となり、維新後、岡山県課長中川横太郎の愛人となり、妻と同居のなかで明治10年(1877)1女トヨをもうける。
 中川は、同8年岡山にキリスト教の布教が行われたとき、自宅で説教会を開くなど、布教に積極的だった。小梅はキリスト教を深く知りたいと、11年に神戸のガールズスクール(神戸英和女学校に入学したが、中川に呼び戻された。

 自立を望んだ小梅は金森通倫らの指導を受け、子どもを置いて中川家を出た。
 14年1月、中川の妻とともに受洗した。神戸女子神学校で訓練を受け、宣教師夫人に雇われて伝道に従事した。翌15年、岡山女子懇談会が発足するとただちに入会し、翌年国清寺での演説会で「谷間の桜」と題して講話した。

 19年西中山下に婦人英学者開設、岡山教会の宣教師らの協力を得て経営したが、23年ごろ廃校となる。この間、石井十次孤児院事業に協力、岡山孤児院の母と呼ばれた。また婦人伝道師として全国を奔走した。

 69歳で死没。
<やりかけ>
出 典 『女性人名』
中川横太郎(http://www.libnet.pref.okayama.jp/person/nakagawayokotaro/yokotaro_short.htm
山陽新聞社(http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/ishii/10.html
神戸女学院(http://ns.kobe-c.ac.jp/index.html
聖和大学(http://www.seiwa-u.ac.jp/index.html
石井十次 http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/ishii-juji/index.html

トップにもどる