大正〜昭和期の歌人、医師として活躍。
<生い立ち>
神戸に生まれた。本名は「つる」
杉田玄白の末裔。日本医学校卒業。
大正9年(1920)『朝の光』創刊に参加して、窪田空穂の指導を受けた。窪田空穂がクリスチャン歌人で、早稲田大学教授であることからキリスト教信仰が縁であろうか。さらに調べる必要はあるが、興味深い。さらに宇津井研の指導をも受けた。同誌を継承した『勁草』同人。
<小児科医>
小児科医として東京本郷で開業したが、戦後は東京第一病院二宮分院主任医となった。
著書に『菩提樹』(昭和15年)、『杉田鶴子歌集』(同63年)がある。74歳で死没。
次の歌は、クリスチャンとして永遠のいのちを信じる信仰告白であると読み取れる。
「ひとたびは炎と土をくぐるとも永遠のいのち 露疑わじ」 杉田鶴子
キリスト教徒と思われるが、受洗した年月授洗者などは今のところ分からないので調べる必要がある。
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