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関原 喜子(よしこ) 昭和9年(1934)2月2日〜昭和52年(1977)2月15日
 昭和期に活躍した看護師。伝道者。
 大阪の船場に生まれる。旧姓は上田。

 大阪大学医学部付属看護学校、農村伝道神学校保育科を卒業。京都バプテスト病院その他の看護婦として勤務後、日本キリスト教海外医療協力会から岩村昇医師らとともに派遣され、ネパールのカトマンズ・ユナイテッド・ミッション病院に勤務した。途中、肺結核となったために帰国した。

 日本キリスト教海外医療協力会は、昭和13年(1938)10月日本軍侵入による中国難民救援のため、京都大学医学部学生を中心に7名の中国派遣診療班を太倉に派遣した。1月半のの奉仕後、この7名が全国の医大のキリスト教青年会に呼びかけ、日本基督教青年会医科連盟を結成した。同年7月から約1ヶ月半、第2回目の診療班を連盟として蕪湖に派遣した。その後、YMCAの協力を得て南京郊外に病院を建設するなどの奉仕活動を続けた。その一環として活動が展開されて今日に至る活動が継続されている。

 喜子は、結核が全快したのちは日本聖書神学校を卒業した牧師関原政夫と結婚して牧師夫人として過ごすかたわら看護師に復帰した。その後、肺ガンに冒された。病気療養中に日本基督教団補教師試験に合格して、昭和51年(1976)に准充を受け、病床伝道を志したが病に勝てず、志半ばで死去した。
出 典 『キリスト教歴史』
日本キリスト教海外医療協力会(http://www.jocs.or.jp/)