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桜川 みね   明治32年(1899)2月18日〜昭和48年(1973)9月28日
 大正〜昭和期のオルガニスト
 ハワイのホノルルで日本人の医師の家に生まれる。が、父が死去したことにより明治35年に母とともに帰国した。青山女学院を経て同女子専門学校英文科に進んだが、病気のために中退した。

 幼児期からオルガンを習っていた。木岡英三郎がアメリカ、フランスでパイプオルガンを学んで帰国したときに最初の弟子となったのが、みねだった。のち東京音楽学校教授中田章にオルガンを学び、青山学院神学部講師として音楽の授業を担当した。

 昭和13年(1938)肺結核を発病したため翌年以降各地の病院を転々としたが病状の軽快したときには教会オルガニストをつとめた。同30年(1955)から約10年間は由木康の招きでキリスト教音楽学校講師をつとめ、多くのオルガニストを育成した。

 オルガンの指導にあたっては、技術のみでなく礼拝奏楽者の姿勢を常に教え、学習者にキリスト教的感化を与えた。

 東京で69歳の生涯を閉じた。
木岡英三郎  教会音楽家。
 東京音楽学校ピアノ科在学中に渡米、次いでフランスで研鑽を積んで大正末期に帰国。日本におけるパイプオルガン演奏の先駆者。教会音楽の指導にあたった。
出典 『キリスト教歴史』  『女性人名』
http://www.tokyo.catholic.jp/text/katedoraru/organ.htm