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大城 カメ    明治5年(1872)5月1日〜昭和47年(1972)5月17日
 神職のノロ(巫女)から転向したキリスト教伝道者。

 カメは、9歳で生地のノロに就任したが、夫と愛児2人を病死させた絶望の淵からキリスト教に接して生きる望みを得た。
 カメに影響を与えたのは、当時の新知識人の伊波普猷照屋寛範であった。34歳で入信した。古い慣習が残る村で、嫌がらせに遭いながら信念を貫き、入信後の生涯を日夜伝道にささげた。

 孫の嶺井百合子は少女時代カメといっしょに与那原の教会に歩いて通った。孫・百合子は、ひめ百合同窓会副会長を務めた。

 昭和37年(1962)カメは、米寿(トーカチ)記念に那覇教会の伝道所として玉城バプテスト教会伝道所
を献堂した。孫・百合子の弟・大城福清が牧していた(沖縄人国記1998)が、現在は無牧。

 明治・大正・昭和期を生き抜き、100歳で天に召された。
出 典 『女性人名』
琉球新報(http://www.ryukyushimpo.co.jp/special/jinkoku/j981013.htm
琉球新報ニュース(http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/kiji02/970812f.htm