明治〜大正期の日本組合基督教会の伝道師。
岡山県福田村に生まれた。
明治22年(1889)2月に岡山県の天城教会でジェームズ・ペティから受洗した。天城教会は、明治13年(1880)10月、日本組合岡山教会が設立されて岡山県下の伝道が進展し、天城出身の加藤寿が倉敷にいた川越義雄伝道師を招いて津田家を始め数カ所で家庭集会を開くようになったのが始まりといわれている。
家寿子は、同26年、神戸女子神学校(聖和大学)を卒業した。卒業後は、丹後教会で布教に当たった。のち兵庫、今治、岡山教会を経て38年(1905)岡山ミッションの伝道師として布教活動に従事した。
大正13年(1924)9月、組合教会の伝道師になったが、同15年(1926)4月に老齢を理由に現役を隠退した。
家寿子の伝道のモットーは「忍耐」で、幾度断られても家庭訪問を重ねて、ついに教えに導くという徹底ぶりの伝道であった。
東京で死去。 |