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 大西 絹         安政4年(1857)ごろ〜昭和8年(1933)2月2日
 明治期の教育者

 岡山県に生まれる。絹子とも書く。岡山藩士・大西定静・ひでの4女。

 父・定静の甥にあたる 中川横太郎は、岡山にキリスト教をはじめて紹介した人といわれている。社会事業家でもあり、石井十次の協力者でもあった。教育事業にも積極的に協力し、山陽英和女学校開設に尽力した。

 横太郎の妻は絹の長姉であり、二姉の木全かよは、哲学者大西祝(はじめ)の実母である。

 絹は宗教的な環境の中で、母・ひでにならってキリスト教に入信し、以来、教会のために尽くした。明治18年(1885)新会堂建設のとき、母子は衣類、装身具を売って費用にあてた。

 岡山教会の信徒を中心として同19年に山陽英和女学校が創設されたとき、発起人に加わって協力し、女子教育に携わった。
 絹は辞職するまで舎監をつとめ、寄宿舎では茶道、生花、琴、オルガン、料理、裁縫、舞踊等を教え、学校では終身、裁縫、調理、習字、音楽等の代講をつとめた。

 明治41年(1908)上京してYWCAの舎監に就任した。引退後は、茨城県日立で大西祝の長男定彦宅に身を寄せ、76歳で死去。
出 典 『女性人名』 『山陽学園』
山陽学園 http://www.sguc.ac.jp/top/top.html
中川横太郎  http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/ishii/10.html
山陽新聞社 http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/ishii/10.html