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 小笠原 貞子     大正9年(1920)4月20日〜平成7年(1995)10月9日
> 昭和〜平成期の政治家。

 東京のクリスチャンホームに生まれた。

 昭和12年(1937)札幌高等女学校補習科を卒業した。
 第二次世界大戦後、日本基督教婦人矯風会札幌支部の役員として平和運動に取り組んだ。
 同28年(1953)に日本共産党に入党した。

 同37年(1962)新日本婦人の会創立に参加して初代事務局長に就任した。
 日本婦人団体連合会副会長、原水爆禁止日本協議会(原水協)常務理事などをつとめた。

 同43年(1968)参議院選挙に全国区から立候補し、女性候補最高の75万票を集めて初当選した。
 49年(1974)からは北海道地方区に移り、通算4期当選。55年(1980)第18回党大会で、女性として初めて共産党常任幹部会委員となり、党副委員長に就任した。以後、参院懲罰委員長などを歴任した。

 いなば泰子は、貞子が議員活動中、着物姿で議事堂に登場していたことを懐かしく回想している。
 著書には『面を太陽に向けて』、『一粒の麦』がある。
出 典 『女性人名』
日本労働年鑑 第58集 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/58/rn1988-420.html
いなば泰子(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/inaba129m/index.html