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 大江 スミ       明治8年(1875)9月7日〜昭和23年(1948)1月6日
 明治〜昭和期の女子教育者東京家政学院の創立者。

 長崎十善寺に生まれる。父・宮川盛太郎、母・カネの二女。
 父が宮内省大膳職へ転じたことにより長崎より上京して、芝鞆絵小学校を経て、明治22年(1889) 東洋英和女学校に入学した。

 生まれたときから顔にあるアザを苦にしていたが、女学校在学中『聖書』にパウロが肉体の棘をイエスの御言葉によって克服したという信仰に触れ、アザを神の御業のあらわれとして、「身の棘は神の愛の鞭」として自覚するに至った。神は神を信じるものを必ず御手のなかで守られる。なぜならば、神の御名が汚されないように主を信じるものを守り導かれるからだ。スミはその信仰による前進といえよう。

 明治28年(1895)東洋英和女学校を卒業した。
 同34年(1901)東京女子高等師範学校(お茶ノ水女子大学)を卒業し、沖縄師範学校女子部の教諭となる。このとき、学内にあった大和人と沖縄人との区別、沖縄人同士の階級的差別に対して神の前にすべての人は平等に造られていることを説いた。

 翌35年、文部省の命でイギリスに留学。ロンドンのバケイシー・ポリテクニックとベドフォード・カレッジを卒業した。39年(1906)帰国し、東京女子高等師範学校家政科教授に就任。

 明治44年(1911)、家政学の地位を「三法主義」(女房、説法、鉄砲)という概念をもって説明している。すなわち「女房」は家庭の中心で家を治めるもの、「説法」は宗教(キリスト教)であり、個人の心を治めるためにも家庭や社会にとっても正義を実行するために重要なもの、「鉄砲」は戦争のためではなく平和を保つために必要なものという論理を展開した。

 キリスト者として最終の目的を人間救済において、この面から教育には限界があり、宗教によらなければ人間完成は不可能であるとの考えを持っていた。

 大正4年(1915)7月、富士見町教会の長老で陸軍主計監(少将)であったクリスチャンの大江玄寿と結婚し、二人そろって富士見町教会に出席した。しかし、10年に夫が死去。その後は高倉徳太郎牧師のもとで信仰生活を送る。

 14年3月、東京女子高等師範学校を退職し、同年4月キリスト教精神に根ざした実践的家事教育を目指して東京家政学院を創立した。そのかたわら、社会活動として日本基督教女子青年会(YWCA)中央委員、世界学生キリスト教連盟日本委員などもつとめた。

 昭和13年(1938)勲四等瑞宝章、同一五年藍綬褒章を授かる。73歳の生涯を終え、東京青山墓地に眠る。

 著書に『三ぼう主義』、『応用家事精義』、『家事実習案内』、『応用家事教科書』、『家事実習教科書』などがある。
出 典 『キリスト教歴史』  『女性人名』
学校法人東洋英和女学院 http://www.toyoeiwa.ac.jp/index2.html
お茶ノ水女子大学 http://www.ocha.ac.jp/index.html
創設者 大江スミ http://www.kasei-gakuin.ac.jp/sousetusha.html
富士見町教会 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/1661/index.html