教育者。日本女子大学校(日本女子大学)創立者。
《生い立ち》
周防国吉敷郡(山口県)に生まれた。
はじめ、郷里の山口県で教師をしていたが、澤山保羅に導かれて、大阪に出た。
《受洗》
明治10年(1877)11月澤山から受洗した。
《教育活動》
大阪の梅花女学校教師、大和郡山や新潟で伝道活動をしたのちアメリカに留学した。
明治27年(1894)1月、アメリカ留学から帰国した。その年の3月から明治29年(1896)5月まで梅花女学校の校長を勤めた。
明治34年(1901)4月、東京に日本女子大学校を開設した。以後、死ぬまで校長の職にあった。
アメリカ留学中からキリスト教に疑惑を感じ始めていた成瀬仁蔵は、明治45年(1912)、渋沢栄一、井上哲次郎らと「帰一協会」を結成し、諸思想や信条の調和を唱道するようになった。
《著書》
『女子教育』(1896)、『進歩と教育』(1911ほか多数。) |