明治〜昭和期の教育者。
土佐国高岡郡日高村に生まれる。松山正哲・近の二女。父・正哲は維新後の県庁に入庁したので、高は、幼少時から高知で育った。
明治22年(1889)尋常師範学校、同27年東京女子高等師範学校を卒業した。
卒業後、最初の赴任先は栃木県師範学校だった。その後、29年彦根高等女学校教諭、33年高知県立高等女学校教諭となる。それ以来、大正15年(1926)退職するまでの26年間を勤務した。
その間、明治37年(1928)キリスト教の洗礼を受けた。
昭和3年(1928)二葉裁縫女学院を創設した。同11年4月日本基督教会高知教会経営の 清和女学校校長に就任して、同19年3月に退職した。
83歳で死没。
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