大正〜昭和期の幼児教育者
愛媛県松山市に生まれる。
明治45年(1912)から大正3年(1914)まで神戸頌栄保母伝習所に学び、同年4月に群馬県前橋市の清心幼稚園に主任教諭として赴任。三代園長に就任して幼稚園経営に専念。昭和9年(1934)私財を投じてアメリカンホームから同園の敷地、建物、施設一切を買受け、キリスト教精神に基づいて幼児教育に尽力した。生涯独身。
群馬県では幼稚園の情報がWEBで紹介されている。それをてがかりにさかのぼってみれば、下記の出典で明示したアドレスにたどり着く。そこには、黒田幸が私財を投じたというアメリカンホームで過ごしていた宣教師らのプロフィールも出ている。前橋共愛女学校との関係が分かる。また、理事長黒田幸のスナップが一枚出ている。広く国際的に交流があったことがわかった。
さらに、読売新聞が幼稚園で校舎取り壊し前にコンサート(群馬)(3/21)と題して、1895年に設立され、1936年に立てられた園舎に触れれている。そこには4,000人以上の卒業生が輩出されているとある。黒田幸が生涯を通して幼児教育にまい進した姿が浮かび上がる。現在は栗原千代子園長で、食事教育を重視しているとのことだ。
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