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 古坂 つぎ         明治24年(1891)1月30日〜昭和62年(1987)6月3日
 大正・昭和期の教育者。青山学院院長(1971-1974)古坂ー城(がんじょう)の妻。
 横沢文也・ハナの2女として生まれた。

 仙台の 東華女学校を卒業した。植村正久から受洗した。大正2年(1913)女子英学塾を卒業して、札幌高等女学校の英語教師をつとめ、寮の舎監をも兼務した。翌3年には宮城県立高等女学校に転勤となった。

 大正5年、アメリカのコロラドカレッジに入学し、2年間在学した。8年、ニューヨークのアメリカYWCA幹事養成学校を卒業して、帰国後、横浜YWCA幹事、同10年に同所の総幹事に就任した。

 13年にいったん退職してー城と結婚した。その後、日本YWCA幹事養成課程主任となり、昭和8年(1933)から同19年まで青山学院神学部英語講師をつとめた。10年から30年までは日本YWCA中央委員、副会長、書記、会計を歴任した。

 24年から46年まで東京家庭裁判所調停委員、同参与委員をつとめた。35年から44年まで津田塾会理事長、津田スクールオブビジネス校長、津田英語会会長をもつとめた。44年には津田塾会顧問となった。

 44年4月には勲5等宝冠賞を受賞した。夫・ー城への助力も大きかった。昭和25年8月に大田区山王に日本基督教団が有料老人ホーム「敬愛寮」を設立したが、その初代の後援会長に夫・ー城が就任し、つぎは、2代会長に就任した。このホームは現在は神奈川県大和市に移転している。

 つぎは、96歳で死去した。
 <やりかけ>
出 典 『女性人名』
宮城県第二女子高等学校 http://nijo.myswan.ne.jp/enkaku.htm
青山学院 http://www.aoyamagakuin.jp/
青山学院歴代理事・院長 http://www.aoyamagakuin.jp/history/rekidai1.html
敬愛寮 http://web.sfc.keio.ac.jp/~hanada/shimin/keiai.html