士師(はぜ)日曜学校校長。
堺で代々庄屋をつとめる家の一人娘として生まれた。
12歳で女学校に学び、16歳で結婚した。35歳で夫と死別した。
若いころから母の道楽に苦しんで、キリスト教に救いを求め、母も次第に自分の非を悔い、明治40年(1907)、母とともに受洗した。ともに村人への伝道を志し、まず自宅に日曜学校を開設した。
村に教会を、という願望を捨てがたく、その第一段階として日曜学校校舎の建築を計画した。これまで蓄えてきた貯金を基にして昭和5年(1930)、ついに完成した。日曜学校での教え子佐治良三がそこを伝道所として宣教活動を開始した。
佐治良三は、財団法人日本キリスト教文化協会(設立年:1933)から第25回(1994.11)に表彰された。
昭和17年(1942)には士師(はぜ)教会の設立となった。
松尾は太っ腹でユーモアに富み、落語を好み、和歌を楽しんだ。日曜学校のクリスマスに生徒の演じる寸劇や歌も松尾の創作が多かった。
82歳で死去するまでの39年間は士師(はぜ)日曜学校の校長をつとめた。 |