明治〜昭和期の社会事業家。
東京芝愛宕の伊達家屋敷内で生まれる。父伊藤祐順は儒学者で仙台藩の祐筆をつとめていた。誕生日が兄と同じであったために祖父が「おなじ」と命名したという。
高等小学校卒業後、明治22年(1889)一ツ橋の共立女子職業学校の乙科造花科に入学した。卒業後、18歳で愛宕の 私立女子工芸女学校の教師となった。
キリスト教に接近し、そのなかで金子尚雄を知り、同27年6月結婚した。
金子は前橋市の上毛孤児院の創立者で、その経営は困難を極めていた。おなじは、秘書として金子を助けるだけでなく、進んで賛助者を募り、金品を集めて経営につとめた。
苦節10年で新舎屋を建設できた。そして北海道に開拓農場を開き、前橋幼稚園を設立するなど上毛愛隣社の基礎を築き、延べ数百人の孤児から「お母さん」と慕われた。
昭和16年(1941)尚雄の死別後も院母として働いた。
終戦後、引退して92歳で死去した。
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