大正〜昭和期の児童教育者。
山角乾三・伝子の四女として、奈良市で誕生した。
東京に出て、女子学院で矢嶋楫子の指導を受けた。途中、父が満鉄に勤務したため中国に移住し、旅順高等女学校を卒業した。そののち札幌北星女学校保育専攻科にはいり、宣教師モンクの薫陶を受けた。
宣教師モンク,A.M.は、東洋伝道を志して明治37年(1904)9月に来日した宣教師である。女子学院の教員生活を経て北星女学校へ赴任して、創立者スミスの後を継いで、生徒自治会を作らせ女子の自立を図った。昭和9年(1934)には学校の自立経営のために日本人に校長職を譲り、昭和16年日米関係の悪化を心配しながら帰米した。
順子は、大連や韓国などで幼稚園教諭をつとめ、大正4年(1915)受洗した。
同6年(1917)伊藤すすむと結婚した。
昭和18年(1943)、日本基督教団田園調布教会会員となった。また、田園調布幼稚園教諭主任、母と子を守る会委員などをつとめた。 |