明治・大正期の新聞記者。
<生い立ち>
福島県相馬郡中村町(相馬市)に生まれた。
仙台市の宮城女学校を卒業した。宮城女学校は、明治19年(1886)にアメリカ宣教師と日本人の手によって開設されたキリスト教主義の女子教育機関である。現在、宮城学院中学高等学校として歴史を刻んでいる。
<結婚>
宮城女学校を卒業後、上京して磯村源透と結婚した。その間、津田梅子に師事し、また東京女子大学英文科にも在籍した。
<勤め>
明治38年(1905)『報知新聞』記者となり、婦人問題を主に担当した。外国婦人との接触が多かった。また青鞜社同人らとも交流をもった。
のち『やまと新聞』に移る。このころから日本文学の外国紹介を手がけ、ニューヨークの富豪アンナ・シェリコフからの資金援助で森鴎外、国木田独歩、徳田秋声ら多数の小説の翻訳をすることとなった。
春子自身の著書に『今の女』などがある。これの増補版には息子の磯村英一が前書きを書いている。
昭和61年(1986)のNHK朝の連続ドラマ「はね駒(こんま)」の主役りんは、春子がモデルである。磯村英一は長男で都市社会学者である。
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