『主婦之友』社創業者、社長
《生い立ち》
大分県宇佐郡に農家の次男として生まれた。
宇佐中学校を中退して上京して同文館に勤務した。二宮尊徳の「荒蕪の力で荒蕪を拓く」から勤労節倹・自主独立の精神を学んだ。
《受洗》
日露戦争前後から本郷(弓町本郷)教会を牧会していた海老名弾正の名声を慕って本郷教会の門を叩く青年は数多くいた。そのひとりが石川武美であった。彼は日露戦争後、本郷教会に通うようになったが、学生服の青年でいっぱいだった教会のなかで、木綿縞の筒袖に紺の幅広い前掛けをして礼拝直前に滑り込むようにして出席していた。
勤労青年・石川武美の姿は異色に映った。仕事が多忙のため、夜の伝道説教を聴く場合が多かったが、熱心に求道して、明治39年(1906)6月24日にに海老名弾正から受洗した。
武美は「私の求道時代」と題して、家庭を遠く離れてさびしい生活をしているものとして教会の穏やかな温かさから日本の家庭のために働きたいという念願を抱かせたと、後年の『主婦之友』社創業の理想が教会生活を通して培われたのだと想像するに硬くない文章を残している。
昭和11年(1936)4月、石川武美は、弓町本郷教会の会堂建築費残額7千余円を寄付した。
《実業活動》
大正5年(1916)9月18日、武美は、「東京家政研究会」を設立して、出版事業を開始した。
『婦人之友』や『婦女界』の編集を経て、大正6年(1917)2月14日に『主婦之友』を創刊した。家庭生活に関する実用的な記事、家庭内のさまざまな悩み・告白など読者の身近な開示を掲載し、3年後には当時の日本雑誌界第一位の発行部数を誇るまでに成長した。
大正10年(1921)に、社名を”主婦之友社”とした。
昭和16年(1941)には、財団法人石川文化事業財団を設立した。そこには、読者から得た利益を社会に還元したいという創立者・石川武美の生まれたものである。その考えから女性専用の図書館「お茶の水図書館」を設立(昭和22年)した。この図書館は、平成15年(2003)10月に、「女性」「生活」「実用」をテーマとする専門図書館としてリニューアル・オープンした。
戦後の昭和23年(1948)公職追放を受けたが2年後には『主婦之友』の経営に復帰した。同28年(1953)に、月刊誌『主婦之友』を『主婦の友』とし、社名も”主婦の友社”と改めた。
《著作等》
『不運より幸運へ』(1927)、『信仰雑話』(59) |