大正〜昭和期の教育者。
大島協悠の5女として、備前国児島郡天城村に生まれた。
明治22年(1889)神戸英和女学校(現在の神戸女学院)を卒業後、米国マウントホリョーク大学に留学し、同28年(1895)卒業して帰国した。
明治33年(1900)4月井深梶之助と結婚した。夫・梶之助はのちに明治学院総理となった。
花は、米国から帰国後、昭和6年(1931)まで神戸女学院、東洋英和女学校で教鞭をとり、日本基督教婦人矯風会監事、東京女子大学理事、YWCA同盟委員長などを歴任した。
井深八重は、梶之助の姪である。
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