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 原崎 百子      昭和9年(1934)8月13日〜昭和53年(1978)8月10日

 牧師・原崎清の妻。

 百子は、肺がんのために43歳で召天した。肺がんが判明した後に書かれた日記がもとになって夫・が編集した『わが涙よ』による。

 旧姓前田百子は、東京都北多摩郡小金井村(現在の小金井市)に生まれた。
 昭和32年(1957) 国際基督教大学の第一期生として入学し、来日中の神学博士エーミル・ブルンナーと出会った。これがきっかけとなりサークルでの学びのなかから将来伝道者になろうと決意を固めた。

 卒業後、東京神学大学に編入学した。東京神学大学は第一線で働く伝道者養成の大学院後期課程をもつ神学大学である。

 百子は、昭和36年(1961)東京神学大学大学院修士課程を修了して、同窓の原崎清と結婚した。

 夫・清の桑名教会赴任とともに名古屋の金城学院高等学校教師として3年間、英語教育に携わった。
 伝道者として資格を取得した百子であったが、講壇に立つことがなかった。それは、夫・清の伝道方針に反対するところだったからだ。百子は牧師夫人として平信徒の地位で夫の牧会する桑名教会の忠実な教会員として17年間、主に仕えた。
 
出 典 『わが涙よ』 『女性人名』
国際基督教大学(http://www.icu.ac.jp/
東京神学大学(http://www.k-doumei.or.jp/member/tokyoshingaku.htm
金城学院中学校・高等学校(http://www.hs.kinjo-u.ac.jp/
桑名教会(http://www.asahi-net.or.jp/~qg2n-tir/church.html