そ よ 風 の ア ト リ エ
透明水彩画・・・吉沢三さ子 作品とその世界
( NO.290 2025.05.1 毎月1日更新)
【 作 品 展 を 終 え て 5 月 で す】
4年振りに行った珈琲館ピアでの作品展が、4月20日に無事(?)終了しました。(?)がついたのは
作品展の後半に体調を崩してしまい、最終日は自宅で休養を余儀なくされたためです。最終日は喫茶
店が始まる早朝からお昼の終了までお店にいる予定で、会う約束をした方がいましたが、キャンセル。
それでも、2日前の金曜日には、遠く金沢から来て下さったお友達ご夫妻とは、お会いできました。
作品展の後片付けは、マネージャー1人に任せました。でも、喫茶店のマスターが忙しい仕事中にも
かかわらず、お手伝いして下さって、大変助かったと言ってました。このマスターをはじめ、多くの方々の
ご協力や励まし、お心遣い等があって開催できた作品展でした。ここに改めて皆様に感謝申し上げます。
ありがとうござ いました。
作品展の終了と共に今年の桜も終わり、替わって次々に絵心をそそられる花たちが、描いて欲しいと
誘って来るのです。ベランダの紫のクレマチスは、50個以上の花を咲かせました。今年新たに加わった
白のクレマチスも、20個近くの莟をつけています。野に目をやれば藤が咲き、野バラも咲き出しています。
街路樹の花水木は薄紅色、白の花で空に向かっています。畑からはアイリス、ナガミヒナゲシ、エンドウ
などが届きます。そして5月はバラの季節です。もう大変、体調も気になりますが、こうした花たちと対峙
していく5月です。
そよ風のアトリエへようこそお越し下さいました
このアトリエには、下記の部屋があります。ごゆっくりとご覧下さい
5月の部屋 百花のそよ風 (マネージャー余話) 第34 回 花水木
そよ風に乗って(マネージャーの独り言) 風誘讃花一覧 100回記念の部屋
そよ風の小径 そよ風の小径 パート2 新エッセイの部屋一覧
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吉沢 三さ子 プロフィール
出身地 : 長野県佐久市 (1949年7月生まれ)
日本画家、飯島三友(江戸末期~明治・大正)を曾祖父に持つ(参考エッセイ「三さ子の三とは」)
東京のデザイン学院でイラストを学び、テレビ局(テレビ東京)でデザイン画を担当
1973年、結婚を機に職場を離れ、子育ての傍ら独学で水彩画に取り組む
豊橋に転居した1979年から本格的に水彩画の創作活動を始める(参考エッセイ「俺、お前の絵、好きだよ」)
名古屋市で NHK文化センター名古屋 水彩画教室講師 (2006年~2019年)
豊橋市で NHK文化センター水彩画教室講師 (1997年~2023年3月)
2023年4月から 「くらしときめきアカデミー豊橋」で水彩画教室講師 第2第4水曜日13:00~15:00
【 都 忘 れ (ミ ヤ コ ワ ス レ) 】
”都忘れ”とは何とも意味ありげな名です。伝承によると、この花には哀しい物語が残されているそうで
承久3年(1221年)承久の乱で破れた順徳上皇は幕府により佐渡に流されます。
佐渡は都から遠く、孤独の哀愁を20年余り味あわねばなりませんでした。そんなある日、自宅の庭で
何気なく目についたのが、紫色の一茎のノギクでした。紫といえば京を代表する雅な色。上皇はこの花に
{ミヤコワスレ}という名をつけて、時にはこの花に慰められ、都恋しさを忘れたということです。
都忘れはキク科ではあるけれど、他の菊にはない青紫色で、他の野菊と違って春に咲きます。やはり
特別感のある花ですね。
都忘れには個人的にこんな思い出があります。長女が就学前の5歳児の頃、夫の転勤で1年半住んだ
鹿児島から豊橋に引っ越して来て間もない頃の出来事です。
今までと違う環境に慣れるのは、親も子も大変な状況でした。新しく通い始めた幼稚園の帰り途には、
スーパーに寄って長女の好きなおやつを1個買ってあげることで緊張感をほぐしていたつもりでした。
あるとき、お店の花売りコーナーの前で足を止めた娘が小さな紫色の花を見やって「お母さん、今日の
おやつはいらないから、この花を買って」と言ったのです。それが都忘れでした。お花とおやつ、両方を買
ったのは言うまでもありません。
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