市岡氏について

以前 旧喫茶 海からのお付き合いであるが,
独特の風貌、頭の毛はちょんまげ、着る物は甚平、巾着袋を下げ、下駄履きである。ところがジャズの評論は非常に的をえているのであります。彼のジャズに関する知識は相当なもんでありました。当店が新装開店した時は真っ先に駆けつけてくれ彼が書いた本をもってきてくれた。「今時ジャズ喫茶の開店なんて豪勢だよな。」といつもはむっりしている彼が,ニコニコしていたのが印象的でした。また親子二代でジャズ喫茶をやっているのは珍しいといって,彼の紹介で東京ジャズホット倶楽部(歴史がある倶楽部油井正一さんなどが在籍)に足をはこんだこともありました。
「横浜かどこかにジャズ喫茶博物館でもつくらなくちゃだめだよな」と言う彼の言葉が当店での最後の言葉でした。 市岡氏を偲んで。

初代JAZZ喫茶マスターについて

映画とジャズとニューヨークのブロードウェイとディズ二−ランドをこよなく愛し、ニューヨークに行ったっきり二ヶ月も戻ってこない元気な75歳である。戦争が終わり食うや食わずの時、借りている部屋でラジオを聞いている時当時の進駐軍放送でベニ−グットマンのカーネギーホールコンサートを放送することを聞き、夜周りに迷惑になるので布団をかぶってラジオから流れるグットマンを聞いていたら
涙が止まらなくなってしまい、それを見ていた周りの人が貧しさのあまり頭がおかしくなってしまったんだろうと勘違いした。と言う話はカーネギーホールがかかるたびにきかされました。
また集める事は天下一品でレコードはもとよりメルクリンの機関車や映画のパンフレット、模型飛行機やトミーのミニカーまで書き出したらきりがなく日本橋生まれの元気な江戸っ子であります。
今と昔

古今亭 志ん朝

夢だった。志ん朝さんとチエット・ベーカーのライヴを当店でやるのが。本当に日本で最後の芸人をなくしたような気がする。稼いだ金を払って観にいきたい芸人のひとりだった。談志がJAZZで志ん朝がクラッシック。冗談じゃないよ。志ん朝の文七元髪なんかはカーネギ−ホールのブルーベックのフォーウィルノウのピアノソロに匹敵する。今だからこそ大人を満足させる芸人が必要だったんだよな。彼の芸には艶があった。色気があった。もこうでJAZZをゆっくり聴いているだろうな?
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