「たぬき」 ほろ苦いコメディ 2004.12.20

12日、歌舞伎座夜の部へ行ってきました。

主な配役
金兵衛 三津五郎
太鼓持・蝶作 勘九郎
妾・お染 福助
金兵衛女房おせき 扇雀
隠亡・多吉 助五郎
狭山三五郎 橋之助

「たぬき」のあらすじ
序幕
深川十万坪
大川端の妾宅
夏の終わりの夕暮れ。江戸市中にころりと呼ばれる疫病が流行っているので、ここ深川の埋立地に出来た仮設の火葬場には、今日も沢山の人が死んで運ばれてくる。

今営まれているのは柏屋金兵衛の葬儀。焼香がすんだところへ遅れてきた吉原の太鼓持・蝶作と芸者のお駒が駆けつけてくるが、金兵衛の女房おせきはろくに挨拶もしない。それもそのはず、亡くなった金兵衛は養子の身でありながら、放蕩三昧のうえ、二日家を留守にし帰宅して酒を飲んだ挙句突然死んだのだ。

明日遺骨を取りに来る約束をして皆はひきあげる。一人残された隠亡の多吉が酒を飲んでいると、棺桶から死んだはずの金兵衛が息を吹き返して這い出してくる。

金兵衛は多吉から、自分が一旦死んで焼き場に送られてきたのだと聞かされる。着る物を調達してもらい、酒を振舞われながら金兵衛は「これを機に自分は死んだことにして、妾のお染と面白可笑しく暮らそう」と思いつき、多吉に十両の金と引き換えに、自分の代わりの骨を見つけて遺族に渡してくれるように頼む。

そして金を隠してあるお染の家へ、金兵衛は多吉を伴って出かけていく。

こちらは金兵衛の妾・お染の家。お染の兄で太鼓持の蝶作が来ている。蝶作が葬儀に出向いたのも、遺族と顔つなぎしておいて、いざというとき柏屋から金を引き出そうと言う魂胆なのだ。

そこへ湯屋から帰ってきたお染は、死んだ金兵衛のことなど眼中になく、愛人の狭山三五郎がくるのを待ちかねている有様だ。柏屋から金をまきあげようという蝶作にお染は、かねてから金兵衛が運んできた金を見せるので、蝶作は抜け目のない妹に安心して帰っていく。

お染が着替えをしている間に、金兵衛はそっと隠し場所から金を取り出す。その物音を聞いて、狸の悪さかと追い立てるお染と金兵衛の顔があい、てっきり幽霊と思ったお染は気絶する。あわてた金兵衛が水を汲みに行っている間に、お染の愛人の狭山三五郎がやってくる。

思ってもみなかった二人の関係を知り、裏切られた金兵衛の思い描いた未来図は泡と消える。多吉に約束の金を渡したものの、どこへいったらいいのか当てもない金兵衛であった。

二幕目
芝居茶屋の二階
本宅に近い寺の境内
それから二年後、金兵衛は今では神奈川で甲州屋長蔵と名乗り、生糸の買い付けの商人として金儲け一途の暮らしをしていた。ある日、糸屋仲間と江戸へ芝居見物へやってきた金兵衛は、芝居茶屋の座敷で蝶作とお駒に出会う。

死んだはずの金兵衛に生き写しなので気味悪がる二人。金兵衛は嫌味を言いながら「自分を覚えているか」と二人をからかう。皆が芝居に戻っていくと、金兵衛は蝶作を連れて茶屋を後にする。

ここは柏屋に程近い寺の境内。三五郎が酔って寝そべっているところへ、逃げた狸を捕まえに両国の見世物小屋から大勢の人が探しに来る。そこへすっかり所帯やつれしたお染がやってきて、家へ帰ってこない三五郎へ恨み言を言う。

三五郎とお染が立ち去った後へ、金兵衛と蝶作がやってくる。金兵衛は実は家の様子が知りたくてたまらないのだ。そこで蝶作に女房のおせきに「金兵衛にそっくりの人がいるので見に来ないか」と呼びにいかせる。

蝶作が出かけると、女中に連れられた金兵衛の息子、梅吉が通りかかる。梅吉は金兵衛を見て父親だと気がつき「ちゃん」と呼びかける。うろたえる金兵衛に女中は詫びを言って去っていく。

いつまでも聞こえる息子の呼び声に身を切られる思いの金兵衛は、とうとう狸の化けの皮がはがれたことを悟る。蝶作が戻り、おせきの「金兵衛に似た人などに会いたくない」という返事を伝えるが、「大人は騙せても、純な子供はだませない」と金兵衛は家へ帰る決心をするのだった。

大仏次郎作「たぬき」は昭和28年に初演された新作歌舞伎。金兵衛を二代目松緑、お染を七代目梅幸が演じたそうです。以前講演会で三津五郎ご本人が話されていましたが、二代目松緑を尊敬し、「松緑芸話」を座右の一冊にしていらっしゃるそうです。

三津五郎の金兵衛は、妾のお染に裏切られたと知った後、目に一杯涙がたまってきて、裏切られたくやしさというよりも、一挙に自分のよりどころを失ってしまった孤独と虚しさが感じられました。この場面では隠亡・多吉を演じた助五郎が世話物らしい良い味をだし好演しています。

金兵衛がすっかり別人になりおおせ商売も成功しているのにもかかわらず、結局歓迎もされない古巣へ帰っていったのは、自分の居場所を失ってしまった空虚な気持ちをどうしても埋めることができなかったからではと思います。三津五郎はそういう人間の弱さを見事に表現していました。

福助のお染はドライで鋭いと感じましたが、これが福助の持ち味なのでしょう。シルエットで見せる着替えの場面も直接的な表現で前回の秀太郎の熟れた色っぽさとは全く異質のものでした。

勘九郎の太鼓持ち蝶作は、本物の幇間はきっとこんなだろうと思うような立て板に水の調子よさで、存在感がありました。金兵衛女房おせきの扇雀は、こういう商家のおかみさん役がとても合っていると思います。

「鈴ケ森」の七之助は、ほっそりした若衆姿が良く似合います。橋之助の長兵衛はマスクはぴったりだけれど、妙に肩がいかって猪首にみえました。最後の方で息を吸う音があんなに聞こえるのは、役柄を狭めかねない損な癖だと私は思います。

「阿国歌舞伎夢華」では、玉三郎演じる元禄風の拵えの阿国が花道から登場すると、あまりの美しさにジワが沸き起こりました。玉三郎ばかりでなく笑也、笑三郎、春猿、それに芝のぶが周りをとりかこんだところは本当に美しく、淡いピンクから朱色までのパステル調の舞台が花園のようでした。

少し前までは玉三郎の美の世界は、他人が入れない世界だと思っていましたが、最近は若い人たちを育てることによって、その美しさの輪が波紋のように広がっているのは、素晴らしいことだと思います。

玉三郎が途中で扇子を飛ばしてしまったのにはドキッとしましたが、全く動揺を見せずに優雅な身振りで拾い先を続けたのにはつくづく感心しました。自分の芸に確固たる自信があるからこそできることでしょうし、九代目團十郎が「扇子を落としても一向さしつかえないが、身体がくずれないことが大事」と言ったというのが納得できたアクシデントでした。

段治郎もスッポンから登場したところは、劇場中の耳目を一身に集めるだけの雰囲気がありました。7月以来の右近も、すっきりとやせて若返ったように見え口跡の癖もあまり気にならなかったです。

最後が渡辺えり子作「今昔桃太郎」(いまはむかしももたろう)。4歳の時「昔噺桃太郎」で初舞台を踏んだ勘九郎が、最後の演目に選んだのは、中年になって安楽な生活ですっかり肥満してしまった桃太郎でした。

初演時の雉(小山三)はまだ元気だけど、猿(中車)は亡くなり、犬(又五郎)は半ば隠居していて、それぞれの息子(猿弥、弥十郎)が跡をついでいます。

人々を堕落させて日本をのっとろうとする鬼たちの復讐計画にようやく気がついた桃太郎ですが、鬼に飲まされた薬のせいで踊りがやめられません。

藤娘、まかしょ、鏡獅子、高杯、連獅子、棒しばりなどを踊りぬくうちに、どんどん痩せていき、最初着物に「あほー」と書いてあったのがいつのまにか消え、背中の大きな三日月が半月、満月、太陽へと変わっていく細かさ。背中でカラスが「かんくろー」と鳴いています。この時、後ろの桃の木の幹から小道具を次々と取り出して使うのも愉快です。

鬼に踊らされることで皮肉にも元の身体に戻れた桃太郎。そこへ福助の演じる桃太郎の母の幻が現れるのですが、桃太郎はこの異星人の母と夢の間に出来た子供だったという説明は少し冗長に感じます。

桃太郎の門出に犬の長老が乗り物の乗って駆けつける、歌舞伎界最長老又五郎の登場には感動を覚えました。いつまでもお元気で若い人に貴重なお話を聞かせていただきたいと思います。

雉の小山三の赤姫の衣装、先のはねたポニーテール姿がなんともいえず可愛らしかったです。皆並んで鬼にブレイクダンスのような踊りを踊らされるところだけは、途中でそっと奥に消えていたようです。。

最後にまた4歳で扮した桃太郎と同じ拵えで出てきた勘九郎は、これまでに対しての感謝と勘三郎襲名への決意の口上を述べ、にぎやかに幕となりました。

この日の大向こう

席が二階だったため、掛け声が聞こえにくかったのですが、会の方は2〜3人いらしていた様です。鈴ヶ森では今月中村山左衛門を襲名した仲一郎に「山左衛門!」という声が沢山掛かっていました。

七之助の権八の台詞「まてまて、ま〜て〜」では「まてまて」の後にいっせいに「中村屋」と掛かって「ま〜て〜」の後では全く掛からなかったのが興味深かったです。

勘九郎さんがいくつもの踊りのさわりを続けて踊り終わった時、「お見事」という声が掛かりましたが、これは本格的に踊った時にこそふさわしい掛け声だと思います。

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