忠臣蔵第一部 江戸と上方の違い 2002.11.21

20日に国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」第一部を見てきました。

今回は鴈治郎が七役を務めるという趣向。しかもいつもとは少し違う上方のやり方で上演されるという事なので、先月上演された江戸型との違いをピックアップしてみました。

まず目に飛び込んできたのが、大阪の大芝居で使われていたという「大手・笹瀬」の両開きの幕。大手と笹瀬というのは享保年間の大阪に存在した二つの大きな贔屓連中の名前ということですが、思っていたより黒地に赤と緑が色鮮やかで立派です。上手の幕が丸の中に「大手」の字、下手の方は笹の絵にひらがなの「せ」の字。

この幕の場合いつもの半分の時間であくので柝の間を速くしたようですが、せっかくですから四十七に合わせてみたらよかったのにと思いました。本来四十七の柝で開く事になっている定式幕は、歌舞伎座の舞台などでは幅がありすぎて、四十七の柝では収まらないそうですので。 幕開き前の口上人形が「〜相務めまする」と言っていたのも、上方風。「ゆるゆるゆる〜っと」で首が江戸型では一回転するのですが、グルグルグルっと確か3回まわったようです。

さて、亀治郎の直義が堂々としていて、この場で一番位の高い人という感じで演じていました。冠の紐は白、沓は三段を降りてからはきかえるやり方。両袖を広げていたのはやはりその方が見栄えがするからでしょうか。

鴈治郎の師直は、先月の吉右衛門にくらべるとシワを描いていなくて、若いつくり。顔世御前は東蔵、花道七三で師直にこちらへといわれ躊躇するところに色気三分という顔世の感じが出ていたかなと思いました。この演出では第一部で六段目までやってしまうので、わりにテンポ良く運んでいきます。師直が若狭之助をいびる「早え〜わ」も今回はなし。

「進物の場」では鷺坂伴内が、中間に加古川本蔵を袋叩きにさせる合図は「エヘン、ばっさり」ではなくて「右足を出したらばっさり」。本蔵を門の中に導く伴内が扇子を開いて傘代わりにかざして「夜露はお身の毒」といっていたのも珍しかったです。

「喧嘩場」では梅玉の判官が自ら顔世の文の入った文箱を持って花道から出てきます。江戸型では後から茶坊主が文箱を持ってきます。その文ですが先月の江戸型は三つ折、今回は二つ折りのように見えました。師直が判官をいびる台詞「鮒よ。鮒よ。フ〜ナ〜だぁ、フ〜ナ〜だぁ、フ〜〜ナ〜〜ざ〜む〜ら〜いだぁ」というところは、コッテリたっぷりでまさに鴈治郎の面目躍如!

先月吉右衛門の師直は判官をいびりながら中啓でパタパタ叩いていましたが、鴈治郎の師直は叩きません。先月のここのくだり、吉右衛門の師直と鴈治郎の判官の芝居が、かみ合っていないんじゃないかと疑問に思ったところです。

後で筋書きを読んだら、判官が投げた刀が柱に突き刺さるとかいてありましたが、判官の方を見ていたので見逃してしまったのは残念。この後「道行」の代わりに「裏門合点」があるかなと期待していたのですが、ありませんでした。

「判官切腹の場」では二人の上使が検死する時刀の柄に白い紙を巻き、草履を履き替えました。上使は松羽目物の時のように裃後見がさし出す葛桶(かつらおけ)に腰掛けます。江戸型では黒子が高合引きを持ってきます。駆けつけてきた鴈治郎の由良之助は判官の「かたみ(かたき)」という言葉を聞き、「委細!」と言って、ぽんと胸をたたきます。江戸型では胸をたたくだけでした。

私の席からは舞台面が見えなかったのですが、二階から見た方の話では切腹するために用意された畳の四隅に、江戸型では立てて置かれるシキミが対角線上に寝かせて置かれたという事です。石堂は切腹した判官の背中に「扇子の要をとってばらした物」を置いてから上意書を載せました。

この後顔世が出てきてお焼香はかなり丁寧にやりました。いねむりをしている斧九太夫を由良之助が起こしてお焼香させたりします。評定はなく、従って斧九太夫の強欲ぶりを表す「知行高に割らっせえ」という台詞はありませんでした。すぐ「城明渡し」に入り、この辺快調に進みます。

城門は江戸型のように斜めに引かずまず全体に一度引き、それから暫くして「煽り返し」(あおりがえし)という手法で書割の上半分が本のページをめくるように降りてきます。話で聞いていた時はそういう方法だと客席から笑いが起こるのではと思っていましたが、ジワはきましたが静かでした。二回煽り返しがあって、門ははるかに遠退きました。門が竹の×で閉じられているのも江戸型では見られません。

五段目の山崎街道「鉄砲渡し」と「二つ玉」、それに六段目の「勘平腹切りの場」は面白いセットに組まれていました。まわり舞台はふつう二つの場をセットに組みますが、この日は三つの場を三角に組んであったようです。

「山崎街道の場」。鴈治郎の勘平の拵えは茶系の格子に、斜め格子の中に「井」の字の模様の肩入れです。その後百姓与市兵衛に早替わりするのですが、顔が白塗りのままなのでちょっと違和感がありました。

その次に定九郎への早替わりが面白かったです。その楽屋裏の様子「市川團蔵はやかわり」の錦絵が筋書きの扉に載っていましたが、掛けた藁から手を出しっぱなしにしたまま替わるという、興味深い仕掛けが描かれています。しかし今回はその方法ではなかったようですが。

ですがこの日鴈治郎の五役の中で定九郎だけが、いただけませんでした。というより定九郎の拵え、ものすごく大きな五十日鬘に黒の紋付を尻はしょりしているのですが、股引に脚半をはいているせいかボテボテしていて、まるで凄みがありません。上方の型では他に、どてらを着ている山賊スタイルの定九郎もあるそうです。江戸型はすっきりと素足で頭は逆熊の御家人髷。台詞も江戸型が「五十両」だけなのに対して、饒舌な定九郎です。江戸の仲蔵型の定九郎がなぜ人気があるのかよく解かります。

ここで出てくる猪、江戸型では舞台をグルっと一周するのですが、今回はまっすぐに上手に抜けていきました。ここで定九郎が吹き替えになり、勘平に鉄砲で撃たれます。問題の「二つ玉」の鉄砲は一度しか聞こえませんでした。江戸型の勘平は花道七三でたしかもう一発撃ったと思います。

先月勘九郎の勘平は鉄砲の火縄に本当の火をつけていてグルグル回すので火の粉が飛んでいましたが、鴈治郎の勘平の方は本物の火ではありませんでした。ここで江戸型では定九郎の死体の足に紐をかけてひっぱるのですが、今回はなし。

今回の演出で一番江戸の型と違っていて面白かったのは「勘平腹切りの場」です。
まず一文字屋のお才と源六が上方言葉です。お軽の乗った籠を押し戻す勘平の「猟人(かりうど)の女房がお籠でもあるめぇ」という台詞がありません。勘平がかえってきて着替える着物は紺色の肩入れです。江戸型は水浅葱の紋服。

この後運ばれてくる与市兵衛の死体は上手屋体(別の部屋)に障子を開けて置かれます。江戸型は部屋の奥の仏壇前。

与一兵衛を殺してしまったと思い込む勘平、そしておかや。そこへやってくる千崎弥五郎と原郷右衛門。江戸型は原ではなく不破数右衛門。その時あわてて勘平が押入れから、拝領の黒の紋服を出して着ようとしますが、おかやに取られてしまうので、着る事ができません。勘平はおかやを屏風の後ろへ隠します。江戸型では逃がすまいと勘平の腰にしがみついています。

金を返して帰ろうとする二人の刀の鐺(こじり)を持ってひきとめた勘平が申し開きした後、「打ち留めたるは舅殿」で原と千崎は死体を検めに上手屋体へ行き、勘平は部屋の下手奥に行って後ろ向いたまま腹を切ります。

先月、江戸型の勘平が腹を切ってから千崎たちが死体を改めに行くやり方では、「なんで早く見に行かないのか」と失笑をかった事もあったようですが、今回のやり方は成る程合理的に思われます。「いかなればこそ勘平は〜」の台詞はないのですが、「いすかの嘴と食い違う〜」というところはありました。

しかしやはり後ろ向きに腹を切るというのは舞台栄えがしません。何が起こったのかよくわからないという感じ。多少無理はあっても腹切りのところは、江戸型の方がやはりお芝居らしく華があって良いと思います。

最後におちいる時おかやが勘平に紋服をきせかけてやります。竹三郎のおかやは存在感があり勘平とのやりとりに緊迫感があって大変良かったと思いました。先月我當の不破は供養のお金を別におかやにやっていましたが、今回はなしでした。

上方では役者達が次々と違う型を演じ、見物もそれを期待していたのだそうですが、思った程コッテリしていなくて、合理的で解りやすくテンポ良くどんどん先に進むという感じで、上方式の芝居を見直してしまいました。

この日の大向う
最初の頃良い感じで掛かっていましたが、四段目では「ちょっと声が掛かりすぎじゃないか」と思いました。大向うの会の方も少しいたようで、人数的には良かったのですが。大きな声が掛かれば良いというもんでもありませんね。やはり雰囲気を大事にしていただきたいです。

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