渡海屋・大物浦 グロテスクな美 2004.4.16 W72

7日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

 
主な配役
銀平、実は平知盛 仁左衛門
お柳・実は典侍の局 芝翫
義経 福助
相模五郎 勘九郎
入江丹蔵 三津五郎
弁慶 左團次

あらすじはこちらをご覧下さい。

 

仁左衛門が初役で知盛を演じました。渡海屋で花道から出てきた仁左衛門、厚司をガウンのように羽織って傘を片手に持った姿は、「カッコいい!」と思わず口をついて出てしまったほどで、ほれぼれするような銀平でした。

相模五郎と入江丹蔵を両手に捕まえて言う台詞回しの面白さ、糸にのる巧さが印象的です。

今回は「弁慶が寝ているお安、実は安徳帝をまたごうとして足がしびれる」というところがカットされていました。ところで文楽では傘ではなくて小さな碇を担いで出ます。先年、勘九郎が平成中村座で銀平を演じた時、たしか厚司は着ないで碇を担いでいましたが、傘を持つのとは全く雰囲気が違っていて、これもまた良いものだと思います。

芝翫のお柳は最初のころ、声をペース配分しているためか小さくてちょっと聞きづらかったですが、典侍の局になってからの安徳帝を抱いて入水しようとする最大の見せ場では、朗々と聞こえました。

勘九郎の相模五郎、魚尽くしの台詞をゆっくり言ったのでよくわかり、魚が出てくるたびに盛んに客席から笑いが起きていました。大物浦の御注進は「幽霊手」や「泳ぎ六方」なども面白く、「つきあい役」と言われるこの役でも、存在感を示しました。

手負いになって再び花道から登場した仁左衛門の知盛、今まで見ただれよりも血だらけで、花道七三で見得をする時、口をかっと開いて真っ赤に染まった舌を立てて見せますが、これはリアルさを求める上方式なのでしょうか。

なにより目をひいたのは、左の胸に深々とささった矢を苦しみながら抜くと矢には血がべっとりとついていて、それを「なめる」と言う場面です。普通だと、知盛がどのくらいダメージを受けているのかはよくわかりませんが、この演出は知盛の死が近いことを充分に納得させます。

この時「どうして血をなめるのか」がわかりませんでしたが、15日にもう一度見に行ったら、矢を引き抜く前に喉をかきむしっているので、喉が渇いているのだとわかりました。

この演出は「首を切る」となどというよりも、もっとむごたらしく感じられ目をそむけたくなりましたが、「戦とはこのように無残なものだのだ」という仁左衛門のメッセージなのかもしれません。

安徳帝を奪われたと判って、はじめの内は義経へ向かって炎のように燃え上がる憎悪が目に見えるようで、その気迫に押されてか、福助の義経はちょっと身体がひけて見えました。「昨日の敵は今日の味方」と帝を義経に託す気持ちになってからは、潮が引くように憎しみが消えていくのが見て取れました。

最期、大碇の綱を体に巻きつけ後ろ向きに大岩の上から海に飛ぶところででは、はっきりと両方の足の裏が見え、実に天晴れ!文句なしに見事な碇知盛でした。インタビューで「立役として一度は手がけたい役」と語っていた仁左衛門の意気込みが、隅々までいきわたっているような素晴らしい舞台だったと思います。

先月の権太、今月の知盛と仁左衛門ならではの見事な舞台を見て、この上は残りの忠信もぜひ見てみたいと思ってしまいます。弁慶の左團次は花道の引っ込みで、弔いのほら貝を吹くところが立派でした。

その他には三津五郎の青山播磨と福助のお菊で「播州皿屋敷」。この三津五郎はなんだかしっくりこないような感じで、お菊を殺すことになる必然性が感じられませんでした。福助も持ち味と全然ちがう役のせいか、ただわがままで無分別な女にしか見えず、播磨がほれぬくほどのいい女にも見えませんでした。芝のぶが演じた同僚の腰元がかわいらしかったので、なおさらです。今月は福助はどれもあまり合わない役だったように思えました。

踊りは勘九郎と三津五郎の「棒しばり」。これは相性の良い二人が技量を競いながら、本当に楽そうにく踊っていて、見ているほうも楽しめました。弥十郎の主人が踊っているのを見ている勘九郎の顔が役になりきっていたのには感心しました。

この日の大向こう

最初から数人の方が声を掛けられていましたが、会の方は田中さんお一人だったようです。

「棒しばり」では勘九郎さんの次郎冠者の演どころで「まってました!」と2〜3人かの声が聞こえました。

「大物浦」で花道を引っ込んでいく義経一行に、一階席からも何人かの方が声を掛けられていました。どうしてもそうしたくなるような、素晴らしく気合の入った「大物浦」だったからではと思います。

二度目に見に行った15日の方は、会の方も沢山見えていてとてもにぎやかでした。

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