新薄雪物語 華麗なる立廻り 2002.11.9

7日に歌舞伎座で、通し狂言「新薄雪物語」を見てきました。

「新薄雪物語」のあらすじ
園部兵衛(そのべひょうえ)と幸崎伊賀守(さいさきいがのかみ)はたがいに意地を張り合う仲。伊賀守の娘で、まだ年端の行かない薄雪姫は園部兵衛の息子、左衛門(さえもん)に一目会いたくて清水寺にきている。そこへ左衛門が鎌倉殿の若君が生まれた祝いに国行作の「影の太刀」を奉納しに奴妻平と刀鍛冶、来国行(らいくにゆき)と共にやってくる。

薄雪姫の「女夫になりたい」という願いを聞いて左衛門は困惑するが、最後には叶えると約束する。薄雪姫が色紙に「23日に館に忍んできてください」というなぞ掛けの色紙を渡すが左衛門はそれを落としてしまう。

来国行の息子国俊は勘当の身だが、ここで行き会った父親から「修行して銘の入った刀を打ってみせたら許す」といわれる。
一方刀鍛冶正宗の息子、団九郎は奉納された「影の太刀」に調伏の筋違いのヤスリ目をいれる。それを見咎めた国行を秋月大膳が手裏剣で殺す。

秋月大膳は刀の奉納が自分ではなく園部兵衛に許され、しかも懸想していた薄雪姫も左衛門に奪われて恨みをもち、園部を陥れようと画策して調伏のヤスリ目を団九郎にいれさせたのだ。左衛門の落とした色紙は大膳が手に入れる。奴妻平が大膳の手下どもに襲われ大立廻りになる。

23日に幸崎邸に忍んできた左衛門は、秋月大膳の讒訴によってその場にやってきた葛城民部(かつらぎみんぶ)、秋月、園部や幸崎によって詮議をうける。薄雪姫と二人、調伏の疑いをかけられ、二人はそれぞれ相手の家に預けられる。

一ヶ月がたち園部家では薄雪姫を大切に扱い、妻平の郷里に逃がす。ところがその後で「左衛門の首を切った」と伊賀守から刀が届く。がその刀は先端にしか血がついていないことから園部は真相を悟る。首桶をかかえてやってきた伊賀守と、同じく首桶を持った園部は対面する。同時に開けた首桶の中は「預かり人を逃がしてしまったことによる切腹の願い状」だった。両家ともお互いの子供の事を思い、自らが犠牲になって逃がしてやったのだった。

すでに園部も伊賀守も陰腹を切っていて瀕死の状態だったが、園部は事件が起こってからというもの笑う事もなかったから皆で笑おうと提案。奥方梅の方と三人で、悲しみ、痛みをこらえて笑いあう。(薄雪の三人笑い)

大和の国にある刀鍛冶正宗の家では、来国俊が素性を隠して修行している。正宗の娘おれんは国俊と恋仲である。この家の息子、団九郎は事件の発端となった刀にヤスリ目をいれた張本人。

正宗は団九郎から「影の太刀」を見せられ、調伏のヤスリ目が息子の仕業とさとり、息子ではなく国俊に秘伝の「焼き刃の湯加減」を教える。その湯に手を入れようとする団九郎の手を切り落とす。正宗は国俊に事の真相を伝え、おれんと一緒になってくれるように頼む。

父親の正宗が何もかも真相を知っていた事を知り、団九郎は改心する。そこへ逃げ込んできた薄雪姫を守るために、団九郎は片手で大勢を相手に獅子奮迅の働きをする。

「新薄雪物語」といえば「三人笑い」が見所として有名ですが、私は序幕の立廻りもすばらしかったと思います。

「立廻り」が華やかな狂言といえば「蘭平物狂」がすぐ思い出されます。「蘭平」の場合、花道でのはしごを使った出初式のような立廻りが見物を圧倒します。屋根の上から雪見灯籠、地面ととんぼ(宙がえり)を繰り返す二丁返りも印象的です。その際灯籠の上の出っ張りをとんぼの邪魔にならないように、黒子がとったりつけたりするのが笑えますが。

「新薄雪物語」の序幕「新清水花見の場」の殺陣も、「蘭平」と同じく立師坂東八重之助の傑作で実にユニークなものです。
妻平にからむ通称水奴は総勢18人。いでたちは真っ赤な紅絹襦袢(もみじゅばん)で捌き髪に鉢巻、手には湯桶をもっています。全体にテンポの速い所作殺陣(しょさだて)で一番有名な場面といえば、階段の上の妻平を富士山の頂上にみたて、頭に湯桶をかぶった水奴が左右に並んだ絵面の見得でしょう。

ウェーブのように順にとんぼをかえったり、傘を車輪にみたてて人間荷車を引いたり、面白い殺陣が次々と出てきます。

私が一番面白いと思ったのは妻平の引っ込みの時。揚幕から出てきた水奴全員が背中を花道につけ、揚幕の方に向かって両足を逆さハの字にあげてズラッと並びます。それから一番本舞台に近い役者が傘を持って立ち上がり、揚幕へ入ろうとして仲間を跨ぎます。その時その体をつかんで次の人がと、順々にまるで芋虫が起き上がるように、つながって揚幕に入っていくのです。

殺陣というと型がき決まっていて、さして新鮮味のないものと思っていましたが「新薄雪物語」の殺陣は久しぶりにワクワクさせてくれるような楽しさを味あわせてくれてました。

今回の上演は歌舞伎座の顔見世にふさわしく、配役が豪華で、またそれぞれの役に合っていたと思います。葛城民部の仁左衛門が来国行の傷をあらためるところで あれかこれかと考える様子がよく、「盛綱陣屋」を見てみたいなと思いました。

幸崎伊賀守(團十郎)と園部兵衛(菊五郎)が互いの首桶の中身を見せ合うところなど、観客も息を呑んで見守っていました。鼻をすする音もあちこちから聞こえて、私も二組の親に対する同情が心から湧いてきました。親がお主の為に子供の命を奪う「寺子屋」「熊谷陣屋」は見るたびに釈然としないものを感じますが。

ところが肝心の「三人笑い」で菊五郎の園部が奥方の梅の方に「亭主の言う事が聞けないのか、笑え、笑え」と言うので、芝翫の梅の方が悲しみをこらえて無理に笑おうとすると、客席から笑いが起きるのです。確かに芝翫の顔は見事にクシャクシャになりますが、「ここだけは笑ってほしくないなぁ」と私は思いました。しかしわずかですが役者の側にも笑いを誘発する意図があったようにも見えましたので、あの笑いには各人それぞれの解釈があるのかもしれません。

團十郎の伊賀守が「腹を切ってから園部邸まで歩いてきたために、ひどく弱っている」というところを丁寧に演じていました。草履を片方だけ履いたまま座敷に上がってしまったのがが印象に残りました。

「鍛冶場の場」が上演されるのは35年ぶりだそうですが「トンテンカンテン」と響く音も舞台を引き立てていました。正味約4時間の長丁場でしたが、最後まで面白く見ることができたと思います。

この日の大向う

はじめのうちはほとんど声がかからず、どうしたのかな?と思っていました。そのうちボツボツ掛かりはじめましたが、大詰に入って気合の入ったいい声が掛かるようになりました。この頃沢山の掛け声が聞きたくて、初日や千穐楽に行っていたのですが、普段の日はやはり大向うが少ないなぁと実感しました。

ところでお芝居を良く知らないと掛けるのが難しいだろうと思うのが、もう直ぐ幕という時の「柝頭」です。たいていの大向うがここで声を掛けるようですが、ご贔屓の役者、もしくは主演の役者の屋号が多いです。

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