壷坂霊験記 小芝居的演出 2004.3.2 | ||||||||||||
2月25日、日本橋劇場で行われた歌舞伎フォーラム公演の千穐楽を見てきました。
「壷坂霊験記」のあらすじ そんなお里に横恋慕している遊び人の雁九郎が、沢市の留守を狙って押し入ってきて「沢市と別れて自分と一緒にならないか」と言い寄る。そこへ借金取りたちがやってきたので、お里は雁九郎を屏風の陰にかくす。 とても借金を返してもらえそうもないと知った3人は、代わりに家財道具をもっていこうと物色し始める。すると屏風のかげから雁九郎がのっそり姿を現し、借金の肩代わりを申し出る。 借金取りたちが帰った後、雁九郎は肩代わりした二両の金をたてにお里を連れ去ろうとする。困ったお里は今しばらく待って欲しいと頼む。 帰ってきた沢市にお里が雁九郎に借金を肩代わりしてもらった顛末を話すと、沢市は雁九郎とお里の仲を疑う。それというのも毎朝、暗いうちにお里は家を抜け出してどこかへ行くからだ。 とうとう沢市はそのことをお里に問いただす。するとお里は「沢市の目を治したいばっかりに毎朝、壷坂の観音様に願をかけ、三年越しでお参りしている」というのだ。 そんなお里を疑ったことを恥じた沢市は、自分も一緒に観音様におまいりして3日間の断食をすると言い出す。二人が出かけようとするところへ、雁九郎がお里を自分のものにしようとやってくる。やっとの思いで雁九郎から逃れ、二人は壷坂の辻堂へとやってくる。 三日間の断食をするからと言って、お里を家へかえした沢市は、自分が死にさえすれば、お里は幸せな人生を送れるだろうと考えて、谷へ身を投げてしまう。 戻ってきたお里は谷底に沢市の遺骸をみつけ嘆き悲しみ、後を追って身を投げようとする。辻堂の後ろに隠れていた雁九郎はこれをひきとめ、お里を我がものにしようとするが、言う事を聞かないので匕首で切りかかる。 雁九郎の手を逃れて、お里はついに谷に身を投げる。すると不思議な力が雁九郎を辻堂へと引き寄せ、鈴の綱が首に巻きついてしめ殺す。 お里の信心深さと沢市を思う気持ちに打たれた観音様は、谷底に横たわる二人の前に姿を現し、そのお告げによって二人は息を吹き返す。そればかりか、沢市は目が見えるようになり二人は観音様に深く感謝するのだった。
日本橋劇場は小規模の劇場で(二階席の三列目からは花道が見えませんが)なかなか雰囲気の良い劇場です。しかし同じ歌舞伎フォーラムを江戸東京博物館ホールでやる時は、補助席が出るくらい一杯になるのに、千穐楽のこの日は7〜8分の入り。 なぜかといえば、この劇場の場所が今一知られていないせいではないかと思います。施設名は「日本橋公会堂」で、区民センターの上にあるこのホールの名前が「日本橋劇場」というのも、わかりづらいところです。地下鉄半蔵門線水天宮の駅から2分という便利さがもっとアッピールされて良いのではないでしょうか。 「壷坂霊験記」は明治時代に作られた新しい浄瑠璃です。歌舞伎で初演されたのは明治21年京都四条の芝居で、当時大当りしたそうです。この時演じられたのは悪人などを書き加えた改作でしたが、現在ではもっぱら浄瑠璃に忠実な脚色のものが行われています。 今回はいつもは登場しない遊び人雁九郎が出て、おまけに又之助が沢市と敵役の雁九郎の二役を早替わりで演じる珍しい演出だということで、楽しみにしていました。 浄瑠璃に近いいつもの演出では、沢市が毎朝家をあけることについてお里を問い詰めるところから始まりますが、今回の演出ではまず雁九郎が登場してお里に言い寄ります。その後3人の借金取りが出てきて、借金のかたに何もかももっていこうとすると、頼みもしないのに雁九郎がそれを肩代わりしてしまうところに、お里の苦境がよく表われています。 ここで米屋が米にちなんで「一升、二升」と言う言葉を織り込んだ数え歌のような台詞をいうのが、面白かったです。 お里を演じた歌女之丞は、夫を想ういじらしさ、世話女房のかいがいしさが出ていて良かったと思います。いつもの演出では沢市が自殺したと知ったお里はわりにすぐ後を追って谷に飛び込むようですが、今回は雁九郎とのからみを除いても、ちょっとその辺りが長く感じました。 雁九郎と沢市の早替わりの一番の見せ場は、お里と沢市のふたりが観音様へ夜中に参ろうとすると、向うからやってくる雁九郎を見つけあわてて家の中に隠れるところです。 沢市が暖簾口から奥へ入っていくと、花道揚幕から雁九郎がでてきて、真っ暗な家の中をお里を探し回ります。雁九郎が上手屋体に入ると、入れ替わりに奥に隠れていた沢市が暖簾口から出てきて、仏壇の下の押入れに隠れます。 すると上手屋台から雁九郎が出てきて、今度は暖簾口から入り、押入れから這い出してきた沢市がお里といっしょに出口から逃げ出すというあんばい。これを早替わりで演じるのですが、比較的簡単な拵えなせいもあってかスピーディに進み、替わるたびに客席から笑い声が聞こえました。 さて身投げした沢市の後を追って谷に飛び込もうとするお里を、お堂の裏に隠れていた雁九郎が引きとめ、自分の思いどうりにならないお里に業を煮やし、とうとう匕首で殺そうとします。がそれを振り切ってお里は谷に飛び込みます。 すると雁九郎は連理引きでお堂の方へと引き寄せられ、お堂の鈴の紅白の綱が元九郎の首に巻きついて首吊り状態になり、観音様の罰があたって死ぬのです。ここは意外な展開で、いかにも小芝居らしいアクの強さを感じました。 谷底の場で出てくる観音様は普通は子役を使いますが、今回は大人で、箸箱と言う仕掛けで前に押し出されてきます。、着ているものがなんだかウェディングドレスのように見えてしまったのは下の方が広がっていたせいかなと思います。だらっと落ちるような生地だったら、もっとそれらしく見えたのではないでしょうか。 前回の歌舞伎フォーラムの演目「あんまと泥棒」は演出にこれといった特徴がなかったようでしたが、今回はかなり変わった面白い演出でした。小芝居と銘打ってやるからには、今回のように大芝居とは明らかに違うもののほうが、やる価値があるのではとおもいます。 しかし早替わりにどうしても気をとられて、沢市の死ななくてはならないほどの苦しみが理解できるというまではいきませんでした。沢市が戸口へ来ると90度くるっと回転して、家へ入っていく盲目の演技を見たことがありますが、又之助はそういうところをごくあっさりと演じていて、どちらかというと遊び人の雁九郎の方へ重心がいったかなという感じでした。 京紫の「英執着獅子」は特に最初の傾城のところが美しく、あでやかでした。獅子になってからも、ダイナミックに毛を振っていて、「優しい声の女形」という印象を持っていたのですが、見直してしまいました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||
第二幕、京紫さんの「英執着獅子」から見たのですが、最初はほとんど声が掛かりませんでした。数人の方がボツボツと掛け始め、段々良い感じになってきました。私もツケの入った時に3回ほど掛けました。 「壷坂霊験記」は義大夫狂言ではありますが世話物なので、ツケがうたれるところは掛けやすいのですが、そうでないところは意外に掛けにくく感じました。 それで最初に歌女之丞さんが暖簾から出てくる時、又之助さんの雁九郎がいそいそと戻ってくるところの花道七三での見得、それから最後の花道の引っ込みと言ったところだけに掛けました。 |
壁紙&ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」