十六夜清心 曽我物の残像 2004.1.10

10日、歌舞伎座夜の部に行ってきました。

主な配役
十六夜
時蔵
清心 新之助
白蓮 松助
船頭三次 右之助

十六夜清心(いざよいせいしん)のあらすじ
稲瀬川百本杭の場
鎌倉極楽寺の所化、清心は寺の金が盗まれた件で疑いをかけられ、その調べの最中に大磯の廓の遊女十六夜と女犯(にょぼん)の罪を犯した事が明るみに出て、寺を追放される。

父親からこのことを聞かされた十六夜は廓を抜け出し、清心を追って稲瀬川のほとりへとやってくる。そこへやってきた清心は、自ら犯した罪を悔いて、この上は都へ上って修行し出家得道するので、十六夜に廓へ帰るようにと諭す。

そのつれない言葉聞いて十六夜は川へ飛び込もうとする。というのも実は清心の子供を身ごもっており、廓へは戻れない身体なのだ。

それを聞いて清心の決意は崩れ、十六夜と一緒に死ぬ覚悟をきめて、二人で稲瀬川に身を投げる。

川中白魚船の場
稲瀬川西河岸に一艘の白魚船が浮かんでいる。乗っているのは徘諧師白蓮(はくれん)と船頭の三次。網に何か掛かったので上げてみるとなんと今しがた噂をしていた、扇屋の十六夜である。息を吹き返した十六夜が再び川へ飛び込もうとするのを白蓮が止める。

十六夜は助けられた相手が顔なじみの白蓮だったと知って驚くが、身投げの理由を尋ねられても本当のことを話せない。すると白蓮は十六夜を身請けしようと言い出す。心中した清心に申し訳ないと思いながらも、十六夜は子供を産むまでは白蓮の世話になろうと決心する。

百本杭川下の場
一方清心も、泳げるばっかりに死ぬ事ができず岸にたどりつき再び川に飛び込もうとするが、川遊びに興じる人々の歌などが気になって果たせずにいた。

そこへ通りかかった寺小姓求女(もとめ)。癪をおこして苦しんでいる求女をみかねた清心は水を飲ませたり胸をさすったりして介抱してやる。

だがその時、ふと指にふれた五十両という大金。話を聞けばこの金は、求女が父や姉の恩人のために用意した金ということ。ようやく痛みも収まった求女を一度は見送る清心。

だがあの金があれば死んだ十六夜の供養にと父親に与えることができるという考えが清心に起こり、求女を連れ戻して金を貸してくれるよう頼む。しかし求女は脇差をふりかざして抵抗する。もみあううちに清心がひっぱる財布のひもが求女の首にからまり、もがくうちに絶命する。

実は求女は十六夜の弟。この五十両はほかならぬ清心のために用立てたものだったのだ。そんな事とは知らない清心は、はずみとはいえ人を殺してしまった事を後悔し、脇差で腹を突いて死のうとするが、なかなか出来ない。

そうするうちに雲間から月が顔を出しあたりが明るくなると、「今夜のことを知っているのはお月様と俺一人」と清心は悪の道へ入り、これからは面白おかしく暮らそうと心に決める。

月がまた雲に隠れ雨が降り出すと、その場所を白蓮につれられた十六夜が通りかかるが、暗闇の中お互いに生きていることを知らないまま別れていく二人だった。

 

「花街模様薊色縫」(さともようあざみのいろぬい)通称「十六夜清心」は河竹新七(黙阿弥)作、1859年に初演された「小袖曽我薊色縫」(こそでそがあざみのいろぬい)の一部で、清心のちの鬼坊主清吉は泥棒役者と評判の高かった幕末の名優、小団次にあてはめて書かれた狂言です。

江戸時代には慣例として正月には曽我物を出す事になっていたのですが、毎年のことで趣向の種も尽きて狂言作者の頭痛の種だったとか。そんなわけでこの芝居の後のほうには「箱根湖水対面の場」という、箱根の山中で曽我兄弟が工藤一子犬坊丸と対面をする趣向が取り入れられているのです。十六夜という名前も対面に出てくる鬼王新左衛門の妻月小夜の妹の名前で、やはり曽我物と結び付けられています。

しかし「箱根湖水対面の場」は初演で演じられて以来演じられておらず、その後十六夜清心の筋だけが独立して演じられるようになり今日に至っているということです。

この芝居は大変評判がよく大当りしたにもかかわらず35日目に、実際にあった江戸城御金蔵破りの四千両強奪事件をモデルにした場が問題とされて、お上から削除中止を命じられ、当時の関係者に大打撃を与えたそうです。(季刊雑誌歌舞伎より)

清心の新之助、十六夜の時蔵ともに初役だそうですが、清心の鳩羽色(はとばいろ・くすんだ青紫)の着物の色に溶け込むようなぼーっと淡い色調の舞台とあいまって二人ともとても綺麗でした。

清元の「梅柳仲宵月」(うめやなぎなかもよいづき)にのって演じられる二人の色模様は「三千歳直侍」とも似ていて、こちらも難しそうですが、朧月夜が雰囲気を盛り上げている分だけやりやすいかもしれません。

新之助は死にたくても死ねない清心を見事に演じていましたが、水から上がった時の頭が仁左衛門の時は鬢の毛だけがほつれていたのに対して、全体にピンピンと毛が飛びはねていて今時の頭のようだったのがちょっと異様でした。

清心が着ている着物は、水から上がった後では前の場のよりずぶぬれという事で、ちょっと色の濃いものにとりかえているのだそうですが、照明も暗くなっているのでその辺は確かめられませんでした。

時蔵の十六夜、手拭をふきながしにかぶって花道を出てきて、七三で倒れこんだところは美しく風情がありましたが、時々台詞の低い「あ」を平べったい声でいうのが玉に瑕だと思います。昔は女形の発声は今のように高い声ではなかったとか、難しいものだと感じます。

最初の狂言「鎌倉三代記」では、雀右衛門の時姫がこのお芝居の主役といった感じで大活躍。菊五郎の三浦之助も前髪が良く似合って若々しかったです。

幸四郎の高綱は半道敵のような藤三郎から、武将高綱への変化をつけようとしてか、いつもにまして何をいっているのか良くわかりませんでしたが、合びきに腰掛けたまま、広げた両手をおばけのようにだらりとたれ、舌をだして、片足を上げる見得には古風な魅力がありました。

田之助の長門が三浦之助に心得違いを意見する時、時姫の困りはてたうつむき加減の顔が印象的でした。時姫は何回も二重へ上がったり降りたりするので大変なためか、一度だけ時姫が取りに行くはずの独参湯を黒衣が持ってきたことがありました。

もう一つは玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」(ににんどうじょうじ)。なぜか菊之助の役も「桜子」ではなくて「花子」とされていて、その説明は一切なし。上演記録を見てもそういう例はないようなので、一言説明があっても良かったのではないかと思います。

―と思っていたら、今日14日の読売夕刊に玉三郎さんのインタビューが出ていました。「今回は怨霊である花子が二重映しにみえるイメージにしたかった。一人の姿が二人に見える。美しい幻のような表現ができれば。菊之助さんが光、僕が影に見えたら、おもしろいですね」と出ていました。―

この二人の「二人道成寺」は息を呑むような美しさで観客を完全に魅了しました。揚幕から出てきた菊之助が七三まできた少し後で玉三郎が薄ドロとともにすっぽんから登場。すっぽんから出てくるのは妖怪のたぐいですから、最初から素性をばらしてしまっているわけです。

先月も南座で玉三郎の道成寺を見ましたが、その時の顔がなんだか憂鬱そうだったのに引き換え、今回は余裕たっぷりに菊之助を見ながら表情豊かに踊っていたように思います。

菊之助は胸をそらせるようにして歩く振りだけは、そっくり返りすぎているようで美しさに欠けると思いましたが、玉三郎と並んでも全く見劣りしない洗練された優美さを備えてきて、これからどんなものを見せてくれるのか本当に楽しみです。

この日の大向こう

鎌倉三代記にはたくさんの掛け声が掛かりました。大向こうの会の方も5人見えていたそうです。田中さんのお声も聞こえていましたし、ファンの多い角刈りの大向うさんもいらしていてました。弥生会の会長さんのお姿もお見かけしました。

鎌倉三代記の時姫は三姫の一人で重要な役と思ってはいましたが、掛け声の面からいっても大変声の掛けやすい役のようです。女形はふつうあまり極まらないものですが、時姫は膝をポンとたたいたり、おこついたり、掛けやすいきっかけがたくさんあって、三浦之助の菊五郎さんによりもずっと掛け声が多かったと思います。

ただ「京屋」と掛けられた方の中に、お一人必ずちょっと遅れてゆっくりとマイペースで「きょ〜うや〜」と掛けられた方がいらして、少し気になりました。

しかしその他にはおかしな掛け声はなくて、この頃デタラメな屋号を掛けまくる御仁が出没していると聞いていたのですが、平穏無事な夜でした。

十六夜清心ではだいぶ掛け声が少なくなりました。立った清心の前に十六夜が後ろを向いて座る極まりで、遠慮がちに「ご両人」とかかりましたが、タイミングがもう少し前でも良かったような気がしました。

求女と清心の割台詞の終わりの「こりゃ、どうしたらよかろうなぁ」の後いっせいに「成田屋!」と声が掛かりましたが、一呼吸置いて、たしか棟梁風大向こうさんが梅枝に「萬屋」とお掛けになり、いかにも「ご苦労様」といった感じでした。

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