雪暮夜入谷畦道 難しい芝居 2003.12.19

12月7日、京都南座の顔見世昼の部を見てきました。

主な配役
片岡直次郎
仁左衛門
三千歳 雀右衛門
暗闇の丑松 段四郎
按摩・丈賀 芦燕

「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)通称「直侍」のあらすじはこちらをご覧下さい。

 

先月国立劇場で見たばかりの「天紛上野初花」の後半、三千歳直侍の件。

前半の入谷の蕎麦屋の場の仁左衛門の直次郎、ちょっと陰のある暗い感じですが、三千歳が恋焦がれて病気になるのも納得できる良い男っぷり。

蕎麦屋で火鉢に炭を足してもらってから股火鉢をするのですが、ここで品よく着物で火鉢を隠すようにしてしまうのはかえって何だかおかしく、股火鉢っていうのはもともとお行儀の悪いものですから、思いっきり尻っぱしょりする方が良いような気がしました。

この場で直侍が頬かむりしている手拭ですが、綺麗な形になるように折りたたまれてアイロンがかかっていたようでした。やはりもう一度結ぶ時、格好よく見せる必要があるからだと思います。しかし次の大口屋寮の場の手拭は取った時、はらりとふつうの状態に戻ったので、こちらはもう一度結ばなくても良いため、前の場のとは別なアイロンを掛けていない手拭に取り替えたのではと思いました。

直次郎が蕎麦屋を出ると、傘を開かないうちに舞台が半回しになりましたが、先月の国立では幸四郎が舞台が廻らないうちにここで傘をくぱっと開きそこでかっこよく声が掛かったので、そのやり方の方がいかにも江戸っ子らしさが出ると思います。

さて大口屋の寮の場ですが、雀右衛門はいじらしい三千歳でしたが、どうしたものか直次郎が三千歳をうるさがっているように見えてしまい、その結果「いとど思いの増鏡」で上手と下手を入れ替わって極まる最高の見せ場にも、情というものがあまり感じられませんでした。

仁左衛門も雀右衛門も肚を大切にする役者さんですから、これは予想外でした。

ところで先月の国立でこれを演った時、私はここのところが情が通い合ってとても良かったと思ったのですが、他の日に見た方で「段取りどうりに演っているように見えた」とおっしゃった方もいました。

そんな事もいろいろ考え合わせると、この「雪暮夜入谷畦道」はその時のほんのちょっとした目つきやタイミングでがらっと雰囲気がかわってしまう、難しい芝居なのではないか、他の日はおそらく良かったのではないかと、思うのです。芦燕の丈賀は先月に引き続き、雪の中をやってきて熱いお蕎麦をいかにも美味しそうに良い笑顔で食べていました。段四郎の丑松は「ごちそう」という感じです。

今年の顔見世は猿之助の休演に伴って、吃又を翫雀が替わったので、翫雀が昼の部4演目のうち3つに出る大活躍。吃又も体当たりの熱演でしたが、私は「どもり方」が良いなと思いました。

何人か又平を見ましたが、だれがやっても「どもり方が何だかとってつけたみたいだ」と思っていたのですが、翫雀のは自然で、その結果どもっても誰も笑いませんでした。又平の悲しみが良くわかったからです。

ところで弟弟子の修理之助が「絵から抜け出してきた虎」を筆でかき消すところ、「なんて書いているのかな?」と思って注意していましたら、「龍」と書いていました。なるほど〜と納得!

最初の新歌舞伎「曽我物語」は、兄弟の家庭の事情がわかるお話。もう一つは玉三郎の「京鹿子娘道成寺」でした。

この日の大向こう

「傾城反魂香」で又平の翫雀さんが、手水鉢に描いた絵が裏側に抜けるという奇跡を発見し、「かか、抜けた」と言った時「大成駒」と声が掛かりましたが、ひょっとしたら翫雀さんに掛かった声なのかな?と思いました。もしおとくの鴈治郎さんに掛けられた声なら、あそこはの又平のしどころなので、役者さんの方も困惑なさったのではないでしょうか。

上方の小屋らしく「松嶋屋〜〜〜」という最後を長くのばす上方風の掛け声が聞かれました。

声を掛ける方がいらしたにもかかわらず「雪暮夜入谷畦道」では清元の延寿太夫に声が掛かりませんでした。清元の名曲「忍逢春雪解」を語って聞かせるわけなのですから、御簾が上がった時にひと声掛かっても良かったのではと思います。

「いとど思いの増鏡」の極まりにも、最後の花道七三での直次郎の一歩片足を踏み出した見得にも声が掛からなかったのは本当に心残りでした。しかし雰囲気が盛り上がりに欠けると声は掛けにくいものだとは思います。

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