根引の門松 江戸東京博歌舞伎 2003.9.12

10日、江戸東京博物館歌舞伎公演、昼の部に行ってきました。

主な配役
浄閑 助五郎
冶部衛門 幸太郎
お菊 歌女之丞
吾妻 京妙
与五郎 國矢

「根引の門松』−山崎浄閑住家の場のあらすじ
難波屋与次兵衛は大阪新町の遊女、吾妻を恋慕していた。しかし吾妻は、愛しているのは与五郎だと与次兵衛に打ち明ける。そこで与次兵衛は吾妻をあきらめ家名再興の夢を果たすため江戸に行こうとするが、その時与五郎の恋敵、葉屋彦助を傷つけてしまう。

たまたま与次兵衛が与五郎の羽織を着ていたことから、男の義理で与五郎は与次兵衛の罪を引き受け、そんな事とは知らない父、浄閑の離れ座敷に軟禁されている。

それから3月あまりたったころ、与五郎の妻お菊の父 冶部衛門が浄閑と将棋を指しにやってくる。冶部衛門は将棋の駒にかこつけて与五郎が怪我をさせた相手に示談金を払ってやるようにとなぞを掛ける。

ところが浄閑は「町人は名を捨てて利得を取り金銀をためる」といって示談金を払おうとは言わない。「自分は一人娘のお菊のを案じているのに、そちらは一人息子の与五郎を助けるための金を惜しむのか」と冶部衛門は怒って将棋の駒を投げつけて帰ってしまう。

あいかわらず遊女吾妻を思っている様子の夫を見ながらお菊が案じていると、そこへ吾妻が廓を抜け出してやってくる。門の上から投げ入れられた文をお菊が開いてみると、中には剃刀。「私が研いだ剃刀で死んでください。私もすぐにあとを追うので、来世はふたり一緒に」と書かれていた。

自分は夫を助けたい一心なのに、「死んでくれ」と書かれた手紙にお菊は嫉妬と怒りにふるえながら吾妻を邸内に引き入れて責める。しかし「私は与五郎さんの女房になりたいわけでも、お妾になりたいわけでもない。ただ好きなだけ」という吾妻が、その証に死のうとするのを見て、お菊は考えをかえる。

「このままでは夫は死なねばならないかもしれない。それならいっそ吾妻とともに遠くへ逃がしてやろう」と決心するのだ。それを聞いていた与五郎もお菊の心情をありがたく思うが、「もし自分が逃げたら親の浄閑に迷惑がかかるから逃げる事はできない」と拒絶する。

すると奥から浄閑が現れ、「示談金を200両まであつかってみたが、相手は納得しないので500両いや1,000両だしても無理かもしれない」と事の真相を話す。親の迷惑を考えて逃げまいと言った与五郎は30年分の親孝行をしてくれたのでもう十分だと、浄閑も逃げるように勧める。

与五郎はあとに残る妻お菊や父浄閑のことを考えると後ろ髪引かれる思いだったが、吾妻とともに旅立っていく。残されたお菊は命を助けるためとはいえ、真実愛していた夫を自ら去らせてしまった悲しみに、浄閑にすがって泣き崩れるのだった。

今回見てきたのは両国の江戸東京博物館の一階にある、ホールで毎年行われている歌舞伎で、いつもは脇役を勤める役者さんたちが主役を演じています。演目はめずらしいものが多くてお芝居が好きな方に人気があり、この日も席は満員でした。

「根引の門松」(ねびきのかどまつ)の原作は近松門左衛門「山崎与次兵衛寿の門松」で、これを直接引き継いだ狂言に「双蝶々曲輪日記」(ふたつちょうちょうくるわにっき)があり、「引窓」がよく上演されます。

「根引の門松」山崎浄閑住家の場は「双蝶々曲輪日記」の「角力場」(すもうば)にも登場する山崎与五郎と遊女吾妻をめぐる話で、この典型的な「つっころばし」の与五郎に國矢がぴったりとはまっていました。

以前に「弥作の鎌腹」で弟の和助役を演じた時より、さらに違和感なく役になりきっていて、とくに最初の独白のところで無力な男の投げやりな感じが出ていて上手いと思いました。国立で与五郎をやった信二郎よりも役にあっているのではとさえ思ったくらいに。

与五郎女房お菊を演じた歌女之丞は、武士の娘というきっぱりとしたところが出ていて好演。愛する夫の与五郎をその恋人の吾妻に預けて逃がしてしまった後、ぽっかり穴の開いたような喪失感がにじみ出ていて、涙をさそいました。

遊女吾妻を演じた京妙は見た目も色っぽくて、昔の小芝居の女形はこんなふうではなかったのかとおもわせるようなぼってりとした味が感じられました。

このお芝居のなかで面白かったのはお菊の父冶部衛門(幸太郎)が、与五郎の父浄閑(助五郎)と将棋をさしながら与五郎の示談金をだしてやるように持ちかけるところです。

「山尽くし」や「魚尽くし」などの「〜尽く」しという手法がありますが「将棋尽くし」ともいうべき台詞が楽しく、お菊を交えた三人の掛け合いが緊張感があって聞かせました。

5人の役者全員がそれぞれの役に良く合っていて、それが一層ドラマを盛り上げていたと思います。このほかに京妙の舞踊「豊後道成寺」がありました。

この日の大向う

第一部が「歌舞伎の様式美と大向こう」というタイトルで大向うの簡単な説明がありました。そのために公演中は弥生会の方が声を掛けられるようで、お一人みえていました。

時代物には大きく立派に、世話物には短くきりっとと掛けわけるという見本のデモンストレーションがあって、掛け声は役者さんを元気付けたり舞台と客席を一体化させたりする効果があるというお話がありました。

最初のうちは一般の方も少し掛けていらしたんですが、「間がよく掛け声が掛かった時は役者がそこで息が吸えるので助かるけれど、間が悪いとせりふがつっかえる」との説明のあとは遠慮なさったのか、どなたもかけなくなりました。

弥生会の方もすべての役者さんにお一人で掛ける事になってしまったのですから、きっと掛けにくかったろうと思います。とても控えめに声を掛けていらっしゃいました。

観客の中から3人舞台に上がって大向うから掛け声を掛けてもらうという趣向があったのですが、一人しか手をあげられなかったので私もチャレンジしてみました。すると多分他の方より大きかったからでしょう。「盛綱陣屋」の信楽太郎の黒い網目の後ろあきの上着とバレンという衣装、それに八方われの鬘をかぶることになってしまいました。

衣装はどっしりと重くて、鬘は内部が金でできているので軽めのヘルメットという感じでこめかみに金があたり、役者さんたちはこういうのをいつもかぶっているのかと実感。

衣装を着付けてくれる方は幸太郎さんともうおひとりで手際よくぱっぱと着付けてくださいます。幸太郎さんは私が緊張しないようにと思われてか、6月の時鳥殺しの時に百合の方の腰元で出ていらした話とか、いろいろと話しかけてくださいました。

最後に鬘担当の方が羽二重をつけてから鬘をかぶせてくださって、鉢巻をまいて一丁上がり。また舞台に出ていって最後に見得をして、自分でお願いした掛け声をかけていただきます。「盆踊りだと思えばいいんですよ」といわれながらなんとか終了。

最後にインスタント写真を撮ってお土産にくださいました。引っ込む時になって、ようやく自分に掛けられた声が聞こえたようなしだいです。

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