四谷怪談忠臣蔵 書き換え狂言  2003.7.14

14日、歌舞伎座夜の部に行ってきました。

主な配役
直助権兵衛・義平・暁星五郎 猿之助
お袖 笑也
お岩・お軽 笑三郎
師直・宅悦 猿弥
与茂七 右近
伊右衛門 段治郎
塩冶判官 門之助
由良之助 歌六
おその 東蔵
喜兵衛 芦燕

四谷怪談忠臣蔵のあらすじ(通しですので大変長いです)
発端
足利尊氏は新田義貞を討ち、征夷大将軍となった。その弟、直義は鶴ヶ岡八幡宮を造営するため鎌倉へ向かう。添役・高師直(こうのもろのお)が鎌倉へ向かう途中、藤沢の近くの四谷あたりの御堂の前で休んでいると、新田義貞の霊が現れる。

義貞には鬼龍丸と言う子供があるが、今は大盗賊の暁星五郎となっている。足利の天下を覆すために義貞は師直に乗り移る。この様子を元塩冶家臣の斧定九郎がみていた。

序幕
足利館松の間
足利館の松の間では、高師直が塩冶判官をいびっていた。じつは師直は塩冶判官の妻・顔世に横恋慕しててひどく断られた腹いせをしたのだが、塩冶判官はがまんできずに切りかかって、額に傷をつける。これは師直に乗りうつった義貞の霊が足利の評判をおとそうと企んだ事だった。

扇ヶ谷塩冶館
師直には何のお咎めもなく、塩冶判官は即日切腹、お家は断絶になる。大星由良之助以下の家来達は今後のことを話し合うが、その中に民谷伊右衛門は仇討ち反対を唱えて皆と対立し、舅の四谷左門になじられるがひとり立ち去る。

伊右衛門は塩冶家の金蔵から御用金三千両を盗む。これに加担したのは奥田正三郎の中間(ちゅうげん)、直助。その現場へ駆けつけた小汐田又之丞に、直助は小刀を投げて足に怪我を負わせる。

浅草観世音額堂
塩冶の家が断絶して一年がたった。四谷左門の娘・お袖は浅草寺の茶屋で働いているが、夜は地獄宿で身を売って暮らしている。左門はそんな娘のことが心配のあまり乞食をしようとして、他の乞食から袋叩きに会いそうになり、お袖に助けられる。

そこへやってきたのはお袖に横恋慕している直助。口説こうとするが相手にされない。すると地獄宿を経営している宅悦というあんまが「夜、家へくれば買えますよ」と直助に教える。

宅悦住居
宅悦の地獄宿へやってきた直助だが、小物売りにみをやつし偶然ここへやってきたお袖の許婚・与茂七にお袖をとられてしまう。どうにもおさまらない直助は宿の提灯をもって出てきた与茂七を、田んぼのくらがりで襲おうと追いかける。

浅草裏田圃
その与茂七は非人姿の奥田正三郎から由良之助からの廻文状を受け取り、人目を欺くためにお互いの着ているものを取り替え、提灯もついでに渡してしまう。

この場へ伊右衛門が、御用金強奪の疑いを自分にむけているお岩の父・左門を殺そうと、後を追ってきて切り殺す。同じ場所で直助も、目印の提灯を持った奥田正三郎を与茂七と思い込んで殺し、顔をメチャメチャにする。

そこへお袖とその姉で、妹と同じく客に肌はゆるさないまま辻君をしてくらしているお岩がやってきて、それぞれ夫と父親の死骸を見つける。そこへ何食わぬ顔で現れた伊右衛門と直助。伊右衛門の勧めで直助はお袖と形ばかりの夫婦になって与茂七の敵討ちをする事になり、伊右衛門はお岩に父親の敵を討ってやろうと約束する。伊右衛門と直助は上手く行ったとほくそえむ。

伊右衛門浪宅
御用金強奪の時に、直助が傷を負わせた小汐田又之丞は破傷風にかかり、足腰が立たなくなっていた。「そうきせい」という薬があれば治ると聞いた家来の仏孫兵衛とその息子・小平は、その薬を捜して奔走していた。小平はその薬が民谷の家に伝わるものと知り、盗もうとしてつかまり縛られて押入れに入れられている。

伊右衛門のうちでは子供が生まれたのだが、伊右衛門は一向に喜びもせず、お岩は産後の肥立ちが悪くて伏せっている。伊右衛門は隣にすむ高師直の家来・伊藤喜兵衛の孫娘のお梅にほれられて、ぜひ婿にと望まれているのだ。

そんなわけでお岩が邪魔な伊藤家では、お産祝の産着と一緒に医者の竹扇が調合した「血の道の薬」をお岩のところへ持ってくる。実はその薬は飲むと顔が崩れるという毒薬で、それを飲んだお岩は苦しみだし、顔半分が醜く腫れてただれる。

伊藤喜兵衛から薬のことを聞いた伊右衛門は、欲に目がくらんでちょうど家にきていた宅悦に後を頼んで出かけていく。宅悦はお岩に鏡を見せ、事の次第を言って聞かせる。

全てを知ったお岩は隣家へ出かけようとして宅悦と争ううちに自分で柱に突き刺した小平の刀に首を切られて死んでしまう。するとそこへ大きなねずみが現れ、赤ん坊をさらっていく。

帰ってきた伊右衛門はお岩が小平の刀によって死んだので、ちょうど良いとばかりに小平も殺し、不義を働いたとして戸板の両面にお岩と小平を打ち付けて川に流す。

そこへ伊藤喜兵衛と孫娘のお梅が嫁入りにやってくる。つい先刻お岩が死んだばかりの部屋で伊右衛門がお梅と床入りしようとして顔を見ると、なんとそれはお岩の顔。切り殺してよくよく見れば、それはお梅の首だった。

すると「薬くだせえ」といって出てきたのがさっき殺したはずの小平。これも殺してみれば伊藤喜兵衛の首。お岩と小平が死霊となって現れ、恨みを晴らし始めたのだ。

両国橋
伊藤喜兵衛が殺されたことを知った、医者の竹扇は伊藤家から千両箱を盗み出し籠にのせて両国橋のたもとへ差し掛かる。その千両箱を暁星五郎、実は亡き新田義貞の子・鬼龍丸が奪う。星五郎は新田家再興のために盗賊となっていたのだ。

二幕目
砂村隠亡堀

ここは砂村隠亡堀の土手。お袖と仮の夫婦になった直助は権兵衛と名を変えて鰻取りをしてくらしている。今日も漁へやってきたが掛かったのは髪の毛のついた鼈甲の櫛。

この場へ伊右衛門が釣にやってきて、母・お熊と出会う。伊右衛門の母は高師直に仕えていて、息子に小林平八郎と名を変えて高家へ仕官するようにと師直の書いた書付を渡す。

母が立ち去るとそこへ菰がかぶさった戸板が流れてくる。引き上げてみるとそれはお岩の亡骸で恨みを言う。それを裏返すと小平の亡骸が「薬下せえ」と指先が蛇となってうごめいている手を差し出す。そして小平の死骸は見る間に骨となって沈んでいく。

そこへ与茂七、直助、小平の妹・お軽がやってきて暗闇の中、探り合いとなる。そして権兵衛と名の入ったヤスの半分は与茂七の手に落ち、与茂七の持っていた由良之助の書いた廻文状は直助の手に入る。

深川三角屋敷
お袖と直助はここ深川で形ばかりの夫婦として暮らしていた。そこへ古着屋の手代が死骸が着ていた物と言うお岩の着物に良く似たものを持ってくる。

また直助も帰ってきて、川で拾ったといって鼈甲の櫛を渡すが、それは姉妹の母親のかたみの櫛だった。直助が米代にするため櫛を売りに出かけようとすると、着物を漬けてあったたらいの中から、女の手が出てきて直助の着物の裾をつかむ。

驚いた直助が櫛をたらいに落とすと、水につけてあった着物からは血がしたたりおち、櫛をくわえたねずみが仏壇へ逃げ込む。

そこへ通りかかった按摩を呼び入れると、偶然にもそれは宅悦であった。直助の方をもむうちに、お袖が手にしている櫛がお岩のものだと気がついた宅悦はお岩の無残な最期の様子を物語る。ところがお袖がお岩の妹だと気がつくと逃げるように立ち去る。

姉の非業の死を知ったお袖は、直助と本当の夫婦になって敵をうってもらおうと決意をかため、直助と契りを結ぶ。とそこへ権兵衛の名の入ったヤスを手になくした廻文状を探して与茂七が訪ねてくる。

死んだとばかり思っていた与茂七が生きていたので、直助もお袖も驚愕するが、与茂七はお袖と廻文状を交換しようと申し出る。しかし直助が取り合わないので、お袖はいったん与茂七を奥へ案内する。

そしてお袖は直助には与茂七を殺す手引きをすると、また与茂七には直助を殺す手引きをすると持ちかける。夜もふけて直助と与茂七が屏風の後ろにいる人物を刺してみれば、それはなんとお袖であった。

お袖は二人への申し訳に自ら死ぬ事を選んだのだった。そして同時に直助が与茂七だと思って殺したのは、主人の奥田庄三郎であり、臍の緒書きからお袖は直助の実の妹だという事がわかり、直助は瀕死のお袖の首を打ち落とし、自分もお主を殺してしまった申し訳なさに自害し、廻文状を与茂七に返す。

大詰
天川屋義平内
堺の商人、天川屋では荷物の運び出しが行われていたが、その中身は大量の武器。天川屋は女房を離縁し、奉公人も解雇して息子の由松だけが残っているそうだと荷人達がうわさしている。

夜女房のおそのが戸口へたち去り状をかえそうとするが、義平はとりあわない。息子に会わせてほしいという願いも聞き入れず義平は中へ入ってしまう。

そこへおそのの父親・医者の竹扇(お岩が飲んだ毒を調合した医者)がやってきて、娘を連れ帰り別の金持ちへ嫁がせるといきまく。すると正体不明黒尽くめの一団がやってきて、竹扇を気絶させておそのをさらっていく。

その夜更け、捕手たち(実は塩冶浪士たち)がやってきて船頭だと偽って店にはいり、義平に「大星由良之助のために武器を調達しただろう」と詰め寄る。捕手は息子由松の首に刀をつきつけて白状しろと迫るが、義平はあくまで拒む。

すると奥から大星由良之助が出てきて、義平の心を試した非礼をわび、袱紗に包んだ品を渡そうとする。みればそれは女房おそのの髪の毛と笄、それとおそのに渡した去り状だった。おそのは義平に操をたてるため、尼になったのだ。

夫婦の気持ちに打たれた由良之助は討ち入りの合言葉を「天」と「川」にすることに決める。

高家泉水、炭部屋
亡君の恨みを晴らすため
塩冶の浪士たちは高家へ討ち入る。今は小林平八郎と名乗っている伊右衛門は、与茂七と出会って切りあうが、お岩の亡霊が現れて伊右衛門は金縛りになり、与茂七に討たれる。

炭部屋では師直が見つけられたが、新田義貞の霊が乗り移っているので手が出せない。すると塩冶判官の霊が出てきて義貞の妖術を封じるので、力弥が師直の首を打ち落とす。 

判官の霊は暁星五郎こと鬼龍丸も退治するようにと妖術を封じる宝の矢を与茂七へ授ける。

東海道明神ヶ嶽山中
定九郎とお軽、そして与茂七は大滝の中で鬼龍丸と戦うが、宝の矢のおかげで鬼龍丸を成敗する。

石川耕士脚本「四谷怪談忠臣蔵」は今回が初演。江戸時代には「仮名手本忠臣蔵」と忠臣蔵外伝の「東海道四谷怪談」は二日がかりで一緒に上演されていたのだとか。その二つの狂言を綯交ぜにさせた狂言には「双繪草紙忠臣蔵」(にまいえぞうしちゅうしんぐら)があり、昭和55年に猿之助が演じたそうです。

今回は「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」に、同じく南北の忠臣蔵物の「菊宴月白浪」(きくのえんつきのしらなみ)が加味された書き換え狂言と言うことです。けれどもそ「れぞれの見せ場はわざとカットされていてちょっと寂しく感じます。忠臣蔵は「判官切腹」「「勘平切腹」「一力茶屋」などがなく四谷怪談には眼目の「髪すき」がありません。

しかし今回の目玉は南北自身が書いたといわれている「深川三角屋敷」で、これは近頃ではめったに上演されません。この三角屋敷の場の主人公はお岩の妹・お袖と、お袖に横恋慕して夫の与茂七の殺害を企て、後釜におさまった直助権兵衛です。

この直助権兵衛を猿之助が演じているのですが、ほれた女を手に入れようとその夫を殺害したと思い込み、しかも夫の敵を討つまでは他人でいてと言う約束を守って一つ屋根の下で暮らし、最後にようやく思いを遂げたと思ったらその女は実の妹だったという直助という屈折した男にぴったりのアクの強さがあって、印象に残りました。

「髪結新三」の中で、家へ帰っていくお熊を新三が上手の柱に寄りかかって懐から手をだし顎をなぜなから未練たらたら眺めるところがありますが、それとほとんど同じしぐさを、直助が下手の柱のところでこれから床入りしようとする時、お袖を見ながらやっていたのが印象的でした。

猿之助はこの他、天川屋義平と暁星五郎の三役を演じていました。「天川屋義平は男でござる」と言って長持ちの上で見得をしたところはなかなか立派で、この場はこのセリフのためだけに存在するのかと思うほどでした。女房おそのを演じた東蔵もしっとりとした落ち着きがあって、存在感がありました。

この「天川屋内の場」を上演すると由良之助の人物が小さくなるといって嫌われ、それがいつもカットされる最大の原因のようです。しかし今回由良之助を演じた歌六はどっしりとしていて、そう思わせなかったのはたいしたものだと思います。

歌六は最近舞台で大きく見えるようになってきたように思います。段四郎が体調不良のためか、あまり出てこないのでその穴をうめる必要があるため大きな役をするようになってから、自然に重みが備わってきたようです。

それから春猿演じる定九郎が色悪でなくて、正義の側の立役になっていたのが珍しく、春猿も立役をめったにやらない女形によくあるようなぎこちなさがなくて良かったと思います。新田義貞の霊が高師直にのりうつったり、義貞の息子が石川五右衛門のような格好ででてきたりするのは「菊宴月白浪」の登場人物だと思いますが、筋が複雑になりすぎ、ついていくのが大変でした。

右近は与茂七が三角屋敷へ合羽を着て頭に手ぬぐいを姉さんかぶりのようにまいてやって来るところが、猿弥は恐怖におののく宅悦がよかったです。笑也のお袖は寂しげな感じがあっていたと思います。

小仏小平の妹と言う設定のお軽は笑三郎でしたが、大滝の場で「一力茶屋」で見せる「鏡を使って盗み見するしぐさ」をしたり、鬼龍丸の猿之助が「武蔵野を過ぎてから急げ」と由良之助のセリフを変えて言ってみたり、元の作品の有名な部分があちこちにちりばめられていて楽しめました。

猿之助のお芝居に欠かせないのは宙乗り。本舞台のはなやかな花火に見とれているうちに、いつのまにかすっぽんから猿之助の鬼龍丸が宙乗りで出てきて、その準備をさりげなくやるあたりが実にあざやかでした。

最後には本水の滝まで登場して、涼しさを客席にサービスしていました。猿之助が「天川屋内の場」でちょっと着物の裾に躓いて二重の上で転び、ハッとさせましたが怪我はなかったようで良かったです。

この日の大向う

澤瀉屋一門のお芝居では、ほとんどの屋号が澤瀉屋なので、二十一世紀組の役者さんに対しては名前の掛け声が掛かります。「右近」「猿弥」「笑也」「春猿」「笑三郎」などですが、笑三郎を除いて二音節か三音節なので、ちょっと掛けにくいなと思いました。

三音節の掛け声というと思い浮かぶのは「加賀屋」ですが、「かがぃや」と言う風に大向うの方が掛けているのを聞いて、なるほど上手い工夫だなと感じました。「かがや」と普通に言ってしまうと、どうしてもの間が切れしてまって、音が続きません。なるべく遠くへ聞かせようと思う時、音が切れないようにしたほうがいいのです。

というわけで名前の掛け声を掛ける時は、もっと一つの音にのせるような工夫をしてみたらどうかと思いました。

笑三郎のお岩の亡霊が暗闇の中をすっぽんから出て来てた時、「笑三郎」と声がかかりましたが、こういう時は掛けないものだそうです。

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