義経千本桜 見事な「すし屋」 2003.7.10

6日、大阪松竹座で七月大歌舞伎昼の部を見てきました。

主な配役
権太 仁左衛門
弥助 時蔵
お里 孝太郎
すし屋弥左衛門 弥十郎
お米 竹三郎
梶原 我當
小金吾 愛之助
小せん 秀太郎
若葉の内侍 扇雀

義経千本桜のあらすじ(権太編)
木の実(このみ)
壇ノ浦で大敗した平家の一族は、ばらばらになって落ち延び、平惟盛(これもり)の妻・若葉の内侍(わかばのないし)は息子の六代君(ろくだいぎみ)と家来の主馬小金吾(しゅめのこきんご)をともなって、夫の行方を捜し歩いている。

ここは大和国(今の奈良県)下市村のはずれ、大きな椎の木のある茶屋の前。その茶屋のおかみに切らしてしまった薬を買いに行ってもらっている間に、三人は椎の実を拾っている。

そこへ現れたのは札付きの悪、いがみの権太。親切ごかしに、椎の実を石をぶつけて落としてやり、その隙に小金吾の荷物と自分の荷物をすり替えて行ってしまう。

小金吾が荷物が違うことに気がついてあわてていると、権太が戻ってきて荷物を取り替えるが、今度は「自分の荷物には二十両入っていたのにそれがなくなっている」と難癖をつける。
騙りとは分かっていても人目をしのぶ身の一行にはどうしようも無く、二十両を権太に渡し旅立つ。

ホクホク顔の権太に、戻ってきた茶屋のおかみ実は権太の女房小せんは「子供の為に悪い事はやめて」と意見する。女房には悪態をついても子供は可愛い権太は、親子そろって家へと帰っていく。

小金吾討死
若葉の内侍一行はとうとう捕り手に追いつかれ、小金吾は大勢に取り囲まれて深手を負う。そして若葉の内侍と六代君に自分をおいて先に行くように頼んで、息絶える。
その小金吾の遺骸を、通りかかったこの村のすし屋で権太の父親、弥左衛門がみつけて、何を思ったか首を取る。

すし屋
下市村の釣瓶鮓屋。、この店の娘、お里は下男弥助と親の許しをえて深い仲になっている。弥助は、すし桶をかつぐのもやっとの有様の優男。実はこの弥助、平家の落人平維盛なのだが、それを知っているのはこの屋の主、弥左衛門だけなのだ。

そこへこの家の勘当中の倅・権太が、今日も息子に甘い母親から金を引き出そうとやってくる。そしてまんまと金をせしめて帰ろうとするが、父親の弥左衛門が帰って来るのを見つけ、あわててそばにあったすし桶に金を隠し、自分は奥に隠れる。

帰ってきた弥左衛門も又、持ち帰った小金吾の首をすし桶の中に隠す。そして弥助、実は維盛に「源氏方の追っ手にあなたをかくまっている事が発覚したので上市村の隠居所のほうへお逃げなさい」と忠告する。

そんなこととは知らないお里は、弥助と夫婦になれる事がうれしくてたまらない。なのに弥助が煮え切らないので一人で先に寝る。

ところが偶然若葉の内侍と六代君がこの家へやってきたために、ようやく事情を知ったお里は、悲しみながらも三人を父親の隠居所へと逃がす。それを奥で聞いていた権太は「役人へ訴えて褒美をもらうのだ」と、行きがけにさっき金を隠したはずのすし桶をもって後を追っていく。

そうする内に、源氏の追手梶原の一行が詮議にやってくる。弥左衛門は「これが維盛の首だ」といって、先程すし桶に入れておいた小金吾の首を出そうとする。するとそこへ権太が片手にすし桶を持ち、若葉の内侍と六代君を縄で縛って連れてくる。そしてすし桶に入っている首を「維盛の首だ」と言って差し出す。

それを維盛の首だと認めた梶原は、「褒美の証」といって頼朝の陣羽織を置いていく。去っていく梶原一行を見送っている時、弥左衛門が「この不忠者」と権太のわき腹に刀をつきたて深手を負わせる。

死に瀕した権太は「実はあの首は親父様がすし桶に入れておいた首。若葉の内侍と六代君に見えたのは、自分の女房と倅。善心に立ち戻り親不孝を詫びたかった」と述懐し、息子の善太郎の笛をふいて維盛たち三人を呼びよせる。

維盛が頼朝の陣羽織を恨みを込めてずたずたに裂こうとすると、中から出てきたのは数珠と袈裟。維盛の父重盛が昔頼朝の命を助けてやったお返しに、維盛を出家させて命を助けようという頼朝のはからいだった。

維盛は出家を決意し、権太は息絶え、弥左衛門一家は別れの悲しみにくれる。

1747年に竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作で書かれた時代浄瑠璃「義経千本桜」の三段目にあたるお芝居です。

「義経千本桜」には三人の主人公が登場しますが、権太はその中で一番地味な存在と言えるでしょう。平家の武将で義経の命を狙い最後は豪快に碇とともに海へ入水する知盛や、鼓の皮にされた親狐をしたって人間に化け大活躍する狐忠信の話と比べて、見た目が地味でしかも長い話なので、どうしても退屈してしまいがちです。

2002年4月に、四国の金丸座で今回と同じ仁左衛門が初役で演じた上方式の権太を見たのですが、大変面白いと思ったにもかかわらず、やはり手負いになってからが長いと感じたものです。いまにも死にそうだという設定で何十分も演技するのは、仁左衛門でも難しいのかと思いました。

しかし今回は実に見事な出来。一気に終局まで持っていく力強さにぐいぐいと引っ張られるように見てしまい、少しも長くは感じませんでした。上方式というとまず権太が上方言葉なのですが、これが全体を引き締めるスパイスのような働きをしているのです。

せっかく真人間に立ち戻ろうとして、愛する家族を血を吐く思いで身代わりに差し出した権太ですが、その努力は結局報われないという悲しい結末。それとは対照的な前半の思いっきりテンポの良い、愉快な母親とのやりとり。そのメリハリがなんといっても、このお話を立体的にもりあげていたのだと思います。

それから「木の実」では、いがみと言われ嫌われ者の権太が、実は自分の妻や子を愛し、また愛された人だったかということが丁寧に表現されていて、権太という人間が理解しやすくなりました。

上方式はどこが違うのかと言うと、今回「木の実」の権太は「沼津」の十兵衛と同じコートのようなものを着ていました。今年2月の歌舞伎座で團十郎の権太は、肩入れを着て尻はしょりしていたと思います。

江戸式では小せんは着物の裾を引きずってきていますが、上方式は普通に着ていて、道端の茶屋のおかみさんなのですから上方式の方が合理的に思えます。

上方式の「すし屋」の権太は出てくる時、女房小せんの茶微塵の着物(肩入れ)に息子の帯、それを白地に紺の弁慶格子の浴衣の上にだらしなく着ています。江戸式ではやはり茶微塵でしたが、裏地のように弁慶格子を見せ、きりっと着ていたようでした。

権太が身替りに差し出した自分の女房と倅に「面をあげい」というところ、江戸型は立ったまま子供の顎を右手で支え、女房の顎は左足先で持ち上げます。上方式ではドンと膝をついて片足を前に伸ばし、両手で二人の顎を上げさせます。これは延若型だそうです。

ところで今回は役者も揃っていたように思います。孝太郎のお里も、時蔵の弥助もそれぞれ前よりものびのびと演じていたようでしたし、竹三郎の権太の母・お米もしっくりとはまっていて申し分なかったと思います。

愛之助の小金吾は、やはり手負いになってからが長く感じられ、これから何回も演じていくうちに洗われていくのではと思いました。

他には橋之助の「高時」。最後の方で、たくさんの烏天狗が次々と蹲踞の姿勢から高く飛び上がるのがユニークでなかなかの見ものでした。それと舞踊が二つ、扇雀の「手習子」と時蔵の「女伊達」。からみの男伊達は愛之助と進之介でしたが、愛之助の顔はこの役にピッタリはまっていました。

この日の大向う

最初の内は少なかった大向うですが、だんだん増えてきて「すし屋」のころは10人くらいの声がいっせいに聞こえたようでした。

今回「松嶋や〜〜」という具合に「まつしま」と同じくらいの長さに「や〜」を伸ばす掛け声がとても多かったです。歌舞伎座でもそういう掛け声を聞くこともありますが、少ないのではないかと思います。

気合の入った上手な掛け声が多かったですが、一方かなり遅れてかかる掛け声もありました。「人が掛けたから自分も掛ける」と言う調子では完全に遅れてしまうので、やはり自分で判断し、勇気を持ってかける方が良いのではと感じました。

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