「逆櫓」 吉右衛門の樋口 2008.9.3 W225

3日に歌舞伎座秀山祭昼の部を見てきました。

主な配役
樋口次郎兼光 吉右衛門
権四郎 歌六
およし 東蔵
畠山重忠 富十郎
お筆 芝雀

「逆櫓」(さかろ)のあらすじ
これまで
―平家の勢力が衰退し、都を捨てて西国へと落ちていったあと、都には木曾義仲が一番のりしたが、あまりに権力をかさにきた横暴なふるまいのため義経軍に滅ぼされた。そのすきをついて平家は勢力をもりかえし播磨国に城を築いて義経軍とにらみあっていた。―

摂津国福嶋の船頭、松右衛門の家では、三年前に亡くなった先の松右衛門の三回忌がとりおこなわれている。亡くなった松右衛門との間に槌松という子供のいるこの家の娘およしは、その後同じ松右衛門という名の男を婿に迎えた。

供養が終わると居合わせた客たちが槌松が昔と全然様子が違うと不思議がる。およしの父権四郎は「先月四国巡礼にでたときに捕り物騒動に巻き込まれて暗闇の中を逃げたが、だいぶたってから同じ宿に泊まっていた子供と取り違えてしまったのに気づいた。大切に育てていればいつか本物の槌松が戻ってくると信じている」と話す。子供は今ではすっかりこの家の人々になついている。

そこへこの家の主人松右衛門が帰宅する。源家の武将・梶原景時に呼ばれて、権四郎の家に伝わる逆櫓の技を使って義経の船の船頭をつとめよと命じられたのだ。松右衛門はこの家に入ってたった一年だがすでに逆櫓の技を取得していた。権四郎は婿の出世を喜ぶ。

そこへお筆と名乗る女が訪ねてきて、子供を取り違えた者だと言う。およしと権四郎は槌松が帰ってきたと思い喜ぶが、お筆は槌松はあの騒動で亡くなったと、あの夜の捕り物は自分と父それに主人と若君を捕えるためだったと話す。

あの時主人も亡くなり、父と若君も命をおとしたが、よく見ると若君ではなく別な子供で、笈擦に書いてあった名前から松右衛門の子とわかったので、申し訳ないことだが槌松の供養のためにも若君を返してほしいと頼む。だが怒りと悲しみにくれた権四郎は若君は生かしては返さないと突っぱねる。

この騒ぎに松右衛門が若君をだいて奥から現れると、権四郎は若君を討てと言う。しかし松右衛門はこれをこばみ、自らの素性を話し始める。

松右衛門は実は義仲の家来で樋口次郎兼光という侍で、若君は木曾義仲の遺児・駒若丸。主君の仇を討つために逆櫓の技を得ようと身をやつしてこの家の婿になった。目的がかない敵・義経の船頭になることができたので、行方不明の若君を探そうと思っていた矢先、今の話からこの子が若君とわかったと語る。

そして義理ではあるが息子の槌松がはからずも若君の身替わりとなったのも婿にしてくれた権四郎のおかげだと感謝し、自分と親子・夫婦になったのも運命とあきらめてどうか自分に忠義をたてさせてくれと頼む。それを聞いて権四郎も納得し、お筆は親の敵をうつために去っていく。

その後へ仲間の船頭たちが逆櫓を教えてほしいと訪ねてきたので、松右衛門は海へと出ていく。だが彼らは逆櫓を教える松右衛門に打ちかかる。額に傷はおったが彼らを海にたたきこみ、陸へ戻った松右衛門を大勢の漁師が取り囲む。彼らは梶原の命をうけ樋口を捕えようと狙っていたのだが、樋口は苦もなく追い散らす。

そこへおよしがやってきて、権四郎が樋口を訴人したと言う。権四郎を信じて素性をうちあけたことを悔やむ樋口の前に義経の家臣・畠山重忠が権四郎を伴って現れる。樋口を裏切ったと権四郎を責めるおよしに、権四郎は「大事な孫の槌松は樋口の子ではなく、前の夫の子供だから助けてくれと頼んだ」と言う。

それを聞いた畠山は子供が駒若丸であると確信しながらも、見逃してやる。その気持ちに感謝した樋口は切腹しようとするが、畠山に説得されて、縄にかかるのだった。

文耕堂、三好松洛、竹田出雲、小出雲他の合作による時代浄瑠璃「ひらかな盛衰記」(ひらがなせいすいき)は1739年に書かれ同じ年に歌舞伎でも上演されました。「逆櫓」はその三段目の切で、重厚なお芝居。「碇知盛」とよく似ていますが、こちらが先行作品です。

吉右衛門の樋口は顔も骨格も大きく、圧倒的でした。今時代物では頭ひとつ抜け出しているという感のある吉右衛門、戸口から外にだれかいないかと見る決まりも堂々としていて続く「権四郎頭が高い」と時代にいうセリフにも素晴らしく迫力がありました。

その後で「こんな自分を婿にもったとあきらめてどうか私に武士道を立てさせてください。若君の命を助けてください」と手をついて頼む件へと変わる口調の変化も見事で、権四郎が納得できるほどの誠意がこめられていると思いました。

前回は仲間の船頭たちに海上で逆櫓を教える場面では遠見の子役を使っていましたが、今回は吉右衛門自身と染五郎、歌昇、錦之助が演じ、舟の前後に二人ずつ船頭が乗って、自由自在に前進させたり後退させたりする逆櫓の技ということがよくわかりましたし、吉右衛門の「ヤッシッシーシシヤッシッシー、シーーーーッ」という船弁慶にもでてくる掛け声に野趣があり、波が立体的に動くこの場面が大変面白く感じられました。

権四郎の歌六はこの樋口に対してがっぷり四つの芝居をしているので樋口がますますよく見えるというところ。出すぎることはないけれど、本当は泣きたかったのだと笈擦を抱きしめて嘆く場面など、やって良いところではたっぷりと演じるその塩梅のよさが、これから脇としてこの人がますます重要になるだろうということを予想させます。

お筆の芝雀はいかにもきりっとした武家の娘。とりかえた子供は死なせてしまったうえで若君を返してくれと頼まなくてはならない苦しさがよくでていました。この場だけだとあまりしどころがない役ですが、いつかお筆が、亡くなったお主・山吹御前の遺骸を笹に乗せて運ぶ、笹引きの段を見てみたいと願っています。最後を畠山の富十郎が冴えわたった声できりっと締めていました。

「碇知盛」にくらべるとつまらないと思っていた「逆櫓」ですが、今回はこの狂言独特の魅力が最大限引き出されていたのではないかしらと思います。

昼の部の最初は司馬遼太郎原作「竜馬がゆく・風雲篇」。昨年上演されたお芝居の続編です。

―勝海舟の弟子となった竜馬は、今では海軍塾の塾頭として神戸にいる。そこへ池田屋騒動の顛末を知らせる手紙が届く。訪ねてきた旧友・中岡慎太郎(松緑)と塾生たちは長州と組んで戦おうとするが、竜馬は無駄に死ぬなとこれをいさめる。

しかし中岡は長州とともに京を攻め、負け戦になってけがをした身体で逃げる。そんな時中岡は、安政の大獄で処刑された医者の娘・おりょうがさらわれた妹を探しているのに出会う。中岡とおりょうが危機一発のところへ竜馬があらわれ二人を救う。竜馬の勧めでおりょうは寺田屋の世話になることにする。

竜馬は西郷吉之助と会い、自分の事業に肩入れしてくれるように、また日本の国のために長州を助けてやってくれと頼む。薩摩の侍は竜馬を切ろうとするが、西郷は長州人も薩摩人もみな日本人だという竜馬の考えを受け入れる。

竜馬が寺田屋を訪れ、女将お登勢におりょうを養女にしてもらうように頼み、おりょうを妻にすると告げた夜、討手が寺田屋を取り囲む。竜馬は護衛についていた三好とともに手傷を負いながら必死に逃げるが、この事態を薩摩藩邸に知らせるため三好(松次郎)をいかせ、一人残った屋根の上で気を失う。

朝日がさし始めるころ、竜馬は心配して探しにきたおりょうに、薩摩藩から救援が到着して死地を脱したと聞かされる。天がまだ自分を見捨てていないことに感謝する竜馬だった。―

染五郎の個性が坂本竜馬に合っているために二作目ですが、新鮮さは失われていませんでした。西郷を演じたのが錦之助だったのには驚きましたが、西郷にしては声が高いことをのぞけば違和感はなかったと思います。

おりょうの亀次郎は奔放なおりょうの性格をうまくつかんでいて、そのうえ美人に見え、なるほど竜馬の心をつかんだ女性はこんな感じだったかもしれないなと思わせました。

昼の部の最後は舞踊劇「日本振袖始」。玉三郎が岩長姫実は八岐大蛇(やまたのおろち)を演じました。美しい姫の姿で八つの甕にみたされた酒をむさぼるように飲み、だんだん蛇の正体を現していく表情にはぞっとするような凄味がありました。

稲田姫の福助はきちんと踊っていましたが、玉三郎とのからみで額の上の大きなかんざしが取れてしまったのは気の毒でした。そのかんざしをとめていた金具だけが鬘に残ってしまったので、どうするのかしらと思いましたが、あとででてきた時もかんざしはなくてその金具はついたままでした。事故をなかったことにしてかんざしをもとに戻すより、金具はみっともないけれど成り行きにまかせることにしたのは賢明な判断だと思いました。

玉三郎が後ジテの大蛇の化身になって出てくるとその隈取のすさまじさには驚かされました。その恨めしげにゆがんだ表情といい、玉三郎は楽しんでこの役を踊っているように感じました。鱗四天が蛇のようにダイナミックに動く振り付けが華やかでした。

素盞鳴尊の染五郎は昼の部全ての演目に出演する大奮闘でした。

この日の大向こう

最初から一般の方も3~4人の方が声を掛けていらしてちょうど良いくらいの人数でした。中にはもっぱら「~代目」と声を掛ける方もいらしていました。会の方は幕ごとにおひとりづつ増えて最終的に3人でした。

「逆櫓」で権四郎の長セリフの前に一般の方だけがおかけになり、大向こうさんが声をかけられなかったのであれ?と思っていましたら、その後ですぐに樋口の長セリフがありその時にどっとかかりました。歌舞伎ではあくまで主役をたてるべきというのはこういう場合なのかと納得しました。

幕切れの見得にかかった大向こうさんの声は一つ目のツケで「播磨屋」に、二つ目で「天王寺屋」にかかっていました。

「日本振袖始」では玉三郎さんに声を掛けていらしたのはほとんど一般の方だけだったようです。

歌舞伎座昼の部演目メモ
「竜馬がゆく」―染五郎、松緑、亀治郎、吉弥、錦之助、
「逆櫓」―吉右衛門、歌六、東蔵、芝雀、富十郎、錦之助、染五郎、歌昇
「日本振袖始」―玉三郎、福助、染五郎

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