杜若艶色紫 福助の悪婆・お六 2003.2.27

25日、新橋演舞場の夜の部を見てきました。

杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)のあらすじ
豊島家の家来、佐野次郎左衛門は梁田伴蔵と同僚であったが、佐野は家宝の名刀「ニ字国俊」(にじくにとし)を紛失したために、今は浪人となっている。が実はその刀、梁田が盗んで町人の釣鐘弥左衛門に売り払ったのだった。佐野には通い詰めた遊女、八ツ橋がいた。ところが釣鐘弥左衛門は八ツ橋にご執心。そこで釣鐘は八ツ橋を横取りしようと悪巧みを企てる。

向両国の場
ここは江戸の向両国、蛇娘の見世物小屋と軽業小屋が隣り合っている。「蛇使い」お六の義理の弟、金屋金五郎は軽業師の見習い小三(こさん)と恋仲だ。しかし小三を身請けするには30両の金が必要で、判人勘八から催促されている。

金五郎はその金の工面を義姉のお六に頼む。実は小三はお六の主筋にあたり、これを助けるためにお六は悪事に加担してでも、金を用立てようと決意。そこに釣鐘弥左衛門がやってきて、こじき坊主の願哲とお六に、なにやら頼んでいく。

萬寿屋の場
ここは八ツ橋がいる萬寿屋。そこへやってきたのは奥女中に化けたお六と、船橋治郎左衛門という名の侍に化けた願哲、それに釣鐘と梁田。お六は八ツ橋の姉と名のり、「佐野は私達姉妹のかたき」と嘘を言って八ツ橋に佐野をあきらめさせようとする。
一方八ツ橋は恋人の佐野に請け出されると思っていたのに、請け出すのは赤の他人の船橋と言う話を聞かされ初めは承知しない。

ところが釣鐘弥左衛門が佐野が捜し求めている名刀ニ字国俊を所持している事を知った八ツ橋は、刀を取り返して佐野の帰参を叶えようと、やってきた佐野に心にも無い愛想尽かしをする。ところが願哲がその刀をすりかえて持ち去る。

愛想尽かしを本当のことと思い込んだ佐野は復讐を決意。思いをとげようとする釣鐘弥左衛門と、訳を話そうとする八ツ橋を切り、首をはねる。

首尾を終えて萬寿屋から出てきたお六と願哲は、変装を脱ぎ捨てる。すると願哲の懐から転がり出てきた八ツ橋のお守り。じつは八ツ橋は昔願哲がかどわかした、お六の実の妹だったのだ。

それを知ったお六は、せめてものつぐないに佐野に「ニ字国俊」の刀を返そうと、願哲に頼むが拒否され、渡り合っているうちに暗闇の中で願哲と間違えて乞食を殺してしまう。

一方八ツ橋 の首を持って逃げた佐野は、八ツ橋の書置きを読んで初めて真実を知り自害しようとするが、そこへやってきたお六の亭主、お守り伝兵衛に助けられる。

お六住居の場
伝兵衛は主筋の佐野次郎左衛門をうちに連れて帰り、長持ちの中に匿う。そこへ弟の金五郎が小三を連れて駆け落ちしてくる。

そんな中、願哲が殺された乞食の喉に刺さっていたキセルを持ってゆすりにやってくる。それは伝兵衛が落としたきせるだった。会所から帰ってきたお六は、殺したと思っていた願哲が生きていたので驚く。

肌脱ぎになったお六は縄付きになっている。お六は妹、八ツ橋の回向を弔うため、佐野次郎左衛門の八ツ橋殺しの罪をかぶって自首し、会所で縛られてきたのだ。そうこうするうち願哲が小三をさらって逃げる。事情を聞いた佐野はお六の縄を切り、お六は願哲の後を追う。

日本堤の場
日本堤で願哲たちに追いついたお六は、立ち廻りの末願哲にとどめをさし、「二次国俊」を取り戻す。かけつけた皆は刀が戻ったことを喜ぶのであった。

この作品は四世鶴屋南北によって書かれました。後に三世新七によって書かれた「籠釣瓶」の主人公達、佐野の豪商次郎左衛門と花魁の八ツ橋と同じ世界なのですが、同じなのは名前と、次郎左衛門が遊女八ツ橋に縁切りされたのをうらんで八ツ橋を刀で切り殺すということくらいで、次郎左衛門の顔にあばたはなく、職業も武士になっています。

それに南北が自分が書いた「於染久松色讀販」(おそめひさまつうきなのよみうり)の中の、土手のお六という悪婆をプラスしてできたのがこのお芝居です。いわゆる綯い交ぜ(ないまぜ)というもの。又南北の時代には早替りがとても流行していたそうで、これも原作は八ツ橋とお六が早替りになっています。

ところが明治時代までは早替りで演じられていたこの芝居、昭和に入ってから5回上演されているものの、一度も早替りでは演じられなかったのだそうです。しかも前回上演されたのが昭和59年で約20年前。というわけで今回の上演は大変珍しいものだったのです。

早替りの場面は「於染久松」と同じ手法で行われているようでした。「於染久松」の早替りの仕掛けは、以前放送された「猿之助の歌舞伎ワークショップ」で舞台の裏側から見せてくれたので、どうなっているのかがとても判りやすかったです。

福助は現在の女形の中では一番悪婆(あくば)に向いていると思います。(悪婆とは女だてらに刀をふりまわしたり悪事をおかす姉御肌の女のことです。「馬の尻尾」と言う鬘、格子縞の着付け、半纏が特徴)

懐に入れている蛇を時々出して見せ、鉄漿に黒く染まった歯を見せつつにんまりと微笑みながら蛇に頬擦りするところなど、南北の頽廃的な世界の人物そのものと言う感じでした。福助のこういう他の役者には無い変った持ち味は、今後もっと生かされるべきだと思います。

願哲を演じた橋之助ですが、根っからの悪人ではないというところを見せようとしすぎたのか、息も笑いながら吸うような調子で、悪の凄味というものがありませんでした。

しかし昨年11月に見た同じ南北の「霊験亀山鉾」よりもこちらのほうが、だいぶ筋もわかりやすくて人物設定にも無理が無いように思いました。こういうエグミのあるようなお芝居を見るのも、たまには気分が変わって面白いものです。

この他には松緑の「毛抜」と菊之助の「雪の道成寺」。
松緑の粂寺弾正は、化粧のことや台詞の区切りの音を伸ばす癖(それで〜、何とかが〜という具合)など、気になる所はありますが、團十郎の弾正とはまた全然違った気分の弾正だったので、その点にはちょっと感心しました。彼はもともとユーモアのある役にむいているとは思っていましたが、自分の特性をなかなか上手く生かしていると感じました。

この日の大向う

この日の大向こうはとても少なかったです。
「毛抜」と「雪の道成寺」ではぼちぼち声が掛かっていたのですが、「杜若艶色紫」になったら全くかからず、どうなっているのかと思いました。

座っていたのが花道七三のすぐそばだったので、やきもきしながらも「この場所からもし声を掛けたら、顰蹙を買うだろうな」と思いながら見ていました。お六の引っ込みでようやく、どなたか「成駒屋」「九代目」と続けて声を掛けられたので、ほっとしました。その後はぽつぽつと掛かっていたようです。

今月の新橋演舞場は、掛け声がとても少ないと聞いていたのですが本当でした。
「杜若艶色紫」はツケ入りの見得がとても多い芝居なので、全く声が掛からなくてシーンとしたままだったら、役者さんもさぞやり難いのではと思います。そういう時、寒い部屋がいつまでも暖まらなくて冷え切ったままのような、わびしい気分に私はなります。

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