「小野道風青柳硯」 歌舞伎的な面白さ 2008.2.28 W210 | ||||||
歌舞伎座初代松本白鸚二十七回忌追善公演を、初日と千穐楽(熊谷陣屋途中まで)の夜の部、5日と19日と25日千穐楽の昼の部を見てきました。
「小野道風青柳硯」(おののとうふうあおやぎすずり)のあらすじ 柳ヶ池蛙飛の場 そこへ逸勢の手下が逸勢の企みを知った道風を取り囲むが、腕に覚えのある道風は簡単にやっつけてしまう。その後から昔大工をしていたころの仲間、独鈷の駄六が逸勢の命令でやってきて、仲間になれと言う。しかし道風が味方につこうとしないので、力自慢の二人はお互いを屈服させようととっくみあいになる。ついに道風は駄六をうちまかし、去って行く。 二世竹田出雲、近松判二、三好松洛他の合作時代浄瑠璃「小野道風青柳硯」は1754年に大阪で初演されました。この場は全五段のうち二段目の口で、判二の作と言われているそうです。昭和21年に初代吉右衛門と初代白鸚によって演じられて以来久しぶりの上演です。 小野道風と蛙の逸話は、花札にも出てきますし、私は蛙が苦労して柳に飛びつくのを見て道風がその努力に感心するのかしらと漠然と思っていました。 ですがこのお芝居では道風は蛙が柳にとうとう飛びつくのに成功したのを見て、「不可能に見える橘逸勢の謀反が成功するかもしれないと悟る」という意外な展開。そのうえ道風は傘で蛙をエイ!とばかりに叩き落すのには、今までのイメージがガラガラと音をたてて崩れ落ちました。^^;もっとも小野道風と蛙のエピソードは江戸時代にできたものだそうです。 梅玉の道風が出てきたところ、すっきりとした公家姿がよく似合っていました。道風が力自慢で相撲で敵をやっつけるという趣向も愉快で、梅玉は4人を相手に珍しい相撲の立ち廻りを楽しく演じていました。 そこへ敵役、三津五郎の独鈷の駄六が花道から登場。赤ッ面に定式幕と同じ配色のドテラを着た三津五郎は、ここで道風と二人で相撲の立ち廻りを演じ、負けて池に突き落とされます。この時、跳ね上がる水が銀色のエノキダケそっくりの「水気」というものが池から出現したのもいかにも古風で楽しく感じられました。 道風が立ち去った後で、池から水草を頭からかぶって這い上がる駄六は蛙のように足をピョンと後ろへ高く跳ねあげ蝦蟇蛙さながらに四つんばいで進み、蛙の格好で見得をしますが、着肉でコロコロの状態での相撲の立ち廻りもこの蛙の見得もおよそ格好が良いものとは思えないのに実に良い形になっていて、綺麗なのには本当に感心しました。三津五郎の地力が遺憾なく発揮されているように思いました。 最後は花道七三でつっぱりを見せ、飛び六方で引っ込んでいった三津五郎。小柄だということを全く感じさせない力強さと大きさで見事な駄六でした。歌舞伎的な面白さが一杯の一幕でした。 昼の部の二幕目は橋之助の松王、松緑の梅王、信二郎の桜丸で「車引」。橋之助は横から見た姿がきまっていました。松緑は荒事で安定した演技を見せ、いつも疑問を感じる隈取も今回はなかなか良かったように思います。幕切れの見得はもっと体勢を低くもっと反ると魅力が倍増するのにと感じました。信二郎の桜丸も柔らかい持ち味にあっていて、荒事よりもやはりこういう役に向いているように感じました。歌六の時平がきりっとしていて、藍隈がとても美しかったのにはびっくりしました。 三幕目が吉右衛門の関兵衛、福助の小野小町姫と墨染、染五郎の宗貞で「関の扉」。関兵衛のひょうきんな丸みとぶっかえって大伴黒主になった時の凄みのある迫力がさすがの吉右衛門。すっきりとした二枚目の宗貞の染五郎、賢い小町姫と愁いのある傾城墨染を見事に演じ分け吉右衛門と互角に対峙した福助と、熱気のある舞台でしたが、なぜか3度とも眠くなってしまった私でした。(^^ゞところで関兵衛の衣装は香の図の柄ですが、若紫と須磨の二つが使われていました。昔は役者によって違う香の図を使っていたそうです。 昼の部の最後は幸四郎の由良之助、芝雀のおかる、染五郎の平右衛門で「一力茶屋」。芝雀のおかるはいじらしさとはんなりとした雰囲気を兼ね備えていて良かったです。「兄さん、こうかえ」と傾城となった自分の姿を見せるところもいかにも兄妹のやりとりで、嫌味がなかったのにも好感が持てました。染五郎の平右衛門は熱演でしたが、熱が入れば入るほど声がかすれるのは残念に思いました。 夜の部の最初は「寿曽我対面」。三津五郎の五郎はシャープで切れが良かったです。昼夜とも荒事では声の管理が大変だったでしょうが、そのためか千穐楽の五郎は少し疲れが見えました。橋之助の十郎には、まわりから綺麗!という声が聞こえていました。 今回も富十郎の工藤は最初から最後まで高座の上に座ったままでしたが、五郎に「悔しいか」と問う声のピーンと張った力強さは、だれにも真似できないものがあると思いました。富十郎の工藤は白の地に金の紋様の衣装でした。 「口上」は幸四郎、松緑、雀右衛門、染五郎、吉右衛門の5人で行われましたが、うつむいている雀右衛門の頭が鬘の重さに耐えかねてか、どんどん下がってくるのが気の毒でした。幸四郎の話が長かったのにくらべ、吉右衛門の話がとても短かったのが印象的でした。 次が幸四郎の「熊谷陣屋」。芝翫の相模はさすがに貫録があり、クドキも子供を奪われた母の悲しみが痛いほど感じられましたが、その前後ろを向いて座っている時に平然と裾を直したり、頭を普通にあげていたのにはなんだか興ざめでした。魁春の藤の方は平舞台でずっと小さくなって頭をたれていたのに。幸四郎の熊谷は全力で演じていましたが、所作に装飾が多すぎるように感じてしまいます。 最後が染五郎の「鏡獅子」。男っぽい高麗屋から弥生が踊れる役者が出たと、幸四郎の口上にありましたが、染五郎の弥生に違和感はなかったです。扇もきちんと扱っていて、獅子頭にひっぱられるように花道を駈け入るところの形も綺麗で迫力満点でした。ただ後ジテで花道から出てくる時に横顔が、隈取の具合か、顔がこじんまりと見え、次の機会にはさらにおおらかに踊って欲しいと思いました。 |
||||||
この日の大向こう | ||||||
初日の夜はさすがに大向こうさんが10人ほどいらしていて華やかでした。5日は5人、19日が3人、千穐楽は昼が5人、夜が3〜4人と今月は多いように感じました。 「車引」で花道から梅王が、上手から桜丸が出てくるところで声が掛かった日と、笠をとって顔をみせるまで掛からなかった日とがありました。ある時、桜丸をだれが演じているのか度忘れしてしまっ他私は、声だけ聞いてだれだろうと考えながら、やっぱりここは最初に掛け声で種あかしされてしまうより、顔が見えた時初めて判ったほうが良いなぁと思いました。 以前、この件をある大向こうさんに伺ってみたところ「人によって掛けるところは違って良いと思うけれども、自分だったら笠をとった時に掛ける」とおっしゃっていました。 「一力茶屋」の芝雀さんのおかるが勘平が死んだことを聞かされ、ショックのあまり胸を押さえて息を止める場面で、「キョ〜ヤ〜〜〜」と派手に伸びる声が続けさまに掛かった日もありましたが、ここは声がないほうがよく、この声は台詞にかぶったりもしていて、もうちょっと考えて掛けていただきたいなと思います。 それから幸四郎さんの熊谷の出では、揚幕のチャリーンという音をたてないようにそっと出てきたのにもかかわらず、すかさず甲高い声が「コーライヤー」と掛かりましたが、役者さんの意図を無視するやり方だと思います。 「関の扉」と「一力茶屋」の染五郎さんに、続けて5〜6回「染高麗」と掛かったこともありました。戸板康二氏は「染高麗」を嫌っておられたそうですが、私はお父さんと一緒の舞台などには悪くないと思います。でも目だつ掛け声ですから何度も掛けるのは、うるさいだけです。 「小野道風青柳硯」で独鈷の駄六の出で、揚幕がチャリーンと開いた時、雰囲気にぴったりの小気味の良い声が「大和屋!」と掛かった時は気分がスカッとしました。 |
||||||
2月歌舞伎座演目メモ | ||||||
昼の部 |