すし屋 菊五郎の権太 2007.12.14 W203

1日、南座顔見世昼の部をみてきました。

主な配役
権太 菊五郎
お里 菊之助
弥助
実は維盛
時蔵
弥左衛門 左團次
女房おくら 家橘
若葉の内侍 東蔵
梶原平三景時 富十郎

「すし屋」のあらすじはこちらです。

昼の部では菊五郎の「すし屋」が、おもしろいと思いました。最近ずっと松嶋屋の持ち役となっているこの役ですが、菊五郎はさっぱりとした持ち味でまた違った趣の権太を演じてみせてくれました。

一番衝撃的なのが、とらえた若葉の内侍と若君(実は身替りにした自分の女房と息子)の顔を見せろといわれて「面あげろい」と片足で立ち、若葉の内侍のアゴに左足の甲をかけて上げさせるところ。松嶋屋のバッと飛んで片足を前に出してひざまずき、両手で二人の顔をあげさせるのもとても印象に残りましたが、ここの菊五郎には不安定で不自然な形の中に胸がはりさけそうな悲しみと緊張、絶望が痛いほど感じられて出色。

梶原が首実験する間、ここもまた不安定な中腰のまま浴衣の袖をまくって見つめる権太。本物にまちがいないと言われるとはらっと袖が落ちるというところも、型の中に気持ちがぴたりとおさまっていると思いました。

菊五郎の権太が親の家にやってきた権太が人相書きを取り出して弥助が維盛本人がどうかたしかめるところや、さっぱり出てこない涙のかわりに土瓶のお茶を顔につけて母親に泣き顔を見せるところも、葉らんをつけてある水をつける松嶋屋と違い、金が入っている桶と間違えて首が入っている桶を持っていく手順も、松嶋屋が順序を数えているのに対して持ってみた重さで決めるといういい加減ぶり。しかしこのおおらかさがいかにも歌舞伎らしく思えます。

菊五郎は父親に刺されるまで、基本的に全くハラを見せません。梶原一行が立ち去ったあと「とっつぁん、とっつぁん」と嬉しそうに真相を打ち明けようとする瞬間に父親に刺されてしまう仁左衛門に対し、何一つ言わないまま刺される菊五郎。同じく父親に認められたいと願う権太でも、ずいぶん性格の違う権太だなぁと感じました。

菊之助の初役・お里はいかにも町娘らしくて、弥助に夫らしい仕草を教えるところも、押し付けがましく見えず可愛らしくて魅力的でした。目をひいたのは枕屏風にひももきちんと揃えてかけられたお里の前掛け。

松嶋屋のやり方だと、弥助実は維盛が妻の若葉の内侍に「お里とは親への義理で契った」と言い訳するのを聞いてしまったお里がわ〜っと泣き出すのにあわせて、前かけが序じょに内側へとひっぱりこまれるのですが、菊之助は前掛けをそのままにしておき後で屏風で結界を作る時に一緒につかんできてそっと取り外していました。ここは前かけを効果的に使った松嶋屋のやり方の方が優れていると感じました。

維盛一家が下上市村へ落ち延びる時、下手へすっと入っていったのは、合理的。松嶋屋のやり方では、向こうからもうじき梶原一行がやってくるのに花道を引っ込んで行くので、花道が次から次へと通る人で大混雑という感じを受けます。花道を引っ込むほうが維盛役者は引き立ちはしますが、再び現れるときは下手から現れるわけですから、菊五郎型のほうがすっきりしていて良いと思いました。

比べてみるとそれぞれに違った面白さがあることがわかり、皆同じやり方をするのではなく個性を出してくれたほうが楽しいと改めて感じました。梶原の富十郎、弥左衛門の左團次、弥助の時蔵、若葉の内侍の東蔵とそれぞれ役に合った陣容で見ごたえのある「すし屋」でした。

昼の部の最初は真山青果作の三部作「江戸城総攻」の第三部後半「将軍江戸を去る」。

―慶應四年四月十四日、幕臣勝安房守と官軍西郷吉之助の面談によって、江戸城総攻撃は中止され無血開城の約束が交わされた。将軍・徳川慶喜は朝廷への恭順をしめし、江戸城を出て上野の寛永寺に入った。だが驀臣の中には慶喜のこの決断に反対するものも多く、これに影響された慶喜は考えを翻して明日に迫る江戸退去を延期しようとしていた。

ここは寛永寺黒門前。官軍と幕府の間にたって奔走してきた山岡鉄太郎は慶喜を諌めようとやってきたが、彰義隊の面々に面会を阻止され、一触即発の状態となる。そこへ将軍家槍術指南役で山岡の親戚にあたる高橋伊勢守が現れ、この場を収拾し山岡を伴って門内へ入っていく。

大慈院の書院では長期の謹慎に憔悴した姿で慶喜が読書している。伊勢守は朝廷方への反発を強めている慶喜を諌め、山岡がめどおりを願っていると言うが、諫言に腹をたてた慶喜は聞き入れない。

詰所でなんとか慶喜にあわせて欲しいとねばる山岡鉄太郎は、この様子を察して挑発するように慶喜をあざ笑い、これを聞き立腹した慶喜が山岡と面会すると、山岡は面会したい一心ゆえの無礼を詫びる。

慶喜は、慶喜の身を案じ、涙を流して真の勤皇の精神を説く山岡に心を動かされる。次の日の明け方、僅かな家来とともに慶喜は江戸を立ち退き、水戸へと向かう。江戸のはずれ千住大橋のたもとにはそれを知った人々が集まってきて、別れを惜しむ。かけつけた山岡に慶喜は蟄居していても、山岡の言葉を忘れないと言い、それを聞いた山岡は感涙に咽ぶ。

慶喜は徳川の長い歴史に思いを馳せながら、江戸を去っていくのだった。―

梅玉の慶喜は「大石最後の一日」の内蔵助のような、伸びた月代をなでつけた姿で、長い間の謹慎生活の心労を思わせます。質素な部屋にいる慶喜の耳に届くホトトギスの声がとても印象的でした。このホトトギス笛は今までの上演では何の鳥の声だか判らなかったものを、今回はっきりホトトギスの声に聞こえるようにと変更されとか、これは風情があり効果的でした。(梅之芝居日記より)

伊勢守の秀太郎はめったにない立役でしたが存在感がありました。山岡の我當の、山岡の若さみなぎる熱血漢ぶりを表す高く鋭い声はいささか単調に感じられました。

このお芝居を見て「上野のお山にたてこもった彰義隊」の事情がようやく理解できました。少ない家来とともに寂しく江戸を去る慶喜の「江戸の人よ、さらば」という言葉には最後の将軍としての潔さがあり、清々しかったです。

次が幸四郎が記録更新に意欲的なこの夜932回目の「勧進帳」。富樫を今回南座で襲名披露した錦之助が演じました。富樫の名乗りはちょっと迫力がないように思いましたが、だんだん調子が出てきて強力に身をやつした義経を見咎め呼びとめる場面では、刀を斜め後ろに構えた形がとても美しく立派でした。引っ込みの泣き上げもきっぱりと決まっていました。義経には藤十郎。花道七三で揚幕の方に向いて金剛杖を斜めに持ち山見下ろす所作をしたのが、印象に残りました。

最後が仁左衛門、孝太郎親子共演による舞踊「二人椀久」。仁左衛門はちょっと反った立ち姿が美しく、幻想的な踊りを堪能させてくれました。松山太夫の孝太郎は以前同じ役を演じた時より大きく見えると感じました。

この日の大向こう
土曜日のこの日、会の方は4人いらしていたそうです。「勧進帳」で長唄のきかせどころ「ついに泣かぬ弁慶も一期の涙ぞ殊勝なる」の前で「まってました」と声が掛かっていました。
南座顔見世昼の部演目メモ

「将軍江戸を去る」 梅玉、我當、秀太郎、進之介、亀鶴、薪車
「勧進帳」 幸四郎、錦之助、藤十郎、翫雀、高麗蔵、梅枝、錦吾
「すし屋」 菊五郎、時蔵、菊之助、家橘、東蔵、左團次、富十郎
「二人椀久」 仁左衛門、孝太郎


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