17日、国立劇場で「元禄忠臣蔵第二部」を見てきました。
主な配役 |
大石内蔵助 |
藤十郎 |
大石主税
羽倉斎宮 |
愛之助 |
小野寺十内
新井勘解由 |
我當 |
浮橋 |
秀太郎 |
江島 |
魁春 |
不破数右衛門
寺坂吉右衛門 |
亀鶴 |
お喜世 |
扇雀 |
富森助右衛門 |
翫雀 |
綱豊卿 |
梅玉 |
進藤八郎右衛門 |
彦三郎 |
瑤泉院 |
時蔵 |
「元禄忠臣蔵」第二部のあらすじ
「伏見撞木町」(ふしみしゅもくまち)
第一幕
伏見撞木町の揚屋笹屋の表二階
同 奥庭離室のあたり
内匠頭の切腹から一年たった元禄15年3月、内蔵助はここ伏見撞木町の笹屋で三味線をひきながら遊女浮橋と遊んでいる。世間は赤穂浪士の仇討を待ち望んでいるが、内蔵助は依然として動こうとはせず、家族を妻の里へ帰し、遊女おかるを囲うという有様に、同志の面々は苛立ちをかくせない。
そんな内蔵助を遠縁の広島藩お船奉行・進藤八郎右衛門が訪ねてくる。一向に仇討の意志を見せない蔵之助に八郎右衛門は「主君の命を受け内匠頭の弟・大学による浅野家再興を願うためにこれから江戸へ向かう」と話す。お家再興がなると仇討は出来なくなってしまうので、早く敵を討てと勧める八郎右衛門だが、蔵之助はじっと考え込む。
蔵之助が廓の衆とたわむれていると、不破数右衛門と内蔵助の嫡男・主税が踏み込んでくる。主税は優柔不断な父をはがゆく思い、自ら元服して名を改め不破たちと江戸へ下る許可を求めにきたのだ。
しかし内蔵助はそれまでとはがらっと態度を変え、主税を叱り付け散々に打ち据える。そして主税を離れに呼んで初めて本心をあかす。
浅野家再興を願いでたことは元は混乱をふせぐ一時的な方便だったが、今では世間の同情が集まり再興がなるかもしれない状態だ。しかし自分からお家再興をねがっておきながら、仇討をすることは出来ない。今はだた、じっと成り行きを見つめるしかないのだという、内蔵助の言葉に、陰でこれを聞いてきた急進派の堀部や不破もようやく内蔵助の本心を理解し、今までの無礼を詫びる。
「至誠は第一。敵討ちは第二だ。故主に対する至誠をつらぬくのが本来の第一義なのだ」という内蔵助の信念を、浪士たちは受け入れる。
「御浜御殿綱豊卿」(おはまごてんつなとよきょう)
第二幕
御浜御殿松の茶屋
ここは徳川綱豊卿のお浜御殿。今日は年に一度のお浜遊びが催され、女たちが磯遊びに興じている。そんななかで綱豊卿の愛妾・お喜世の方は上臈の浦尾に、今届いた手紙を見せろと追い詰められていた。その場は祐筆・江島に救われたが、お喜世はもとは浅野家に奉公していた女だった。
文の内容は「浅野家再興を綱豊卿へ頼んで欲しい」というもので、持ってきたのは赤穂浪人で身元保証のために兄となってくれた富森助右衛門だった。助右衛門はお浜遊びを隙見したいとお喜世に頼みこむ。
そこへ綱豊卿が姿を見せる。卿は現将軍の甥で後継者と目されているものの、政治のごたごたにまきこまれないように学問と遊びに日々を送っている。しかし周囲からはいろいろ頼みごとが多く、今日も吉良・上杉両名がやってくる。綱豊は助右衛門の「隙見をしたい」という望みを聞いて、これを許す。
第三幕
御浜御殿綱豊卿御座の間
同 入側お廊下
同 元の御座の間
同 御能舞台の背面
綱豊は、儒学の師である新井勘解由を呼び寄せ、関白近衛家から赤穂浪士の大石内蔵助を召抱えたいので浅野家再興に力を貸してくれないかと頼まれたことを明かす。しかし綱豊は、「儒学には反するが浅野家再興よりも、赤穂浪士たちに敵を討たせてやりたいのだ」と本心を語る。新井勘解由は「あっぱれ」と膝をたたいてその考えに賛同する。
助右衛門は思いがけなく綱豊卿の御座の間へ召しだされ、困惑していた。お喜世とともにくつろいでいた綱豊は助右衛門に中に入るように言うが、助右衛門は頑として従わない。
綱豊は隙見のことや赤穂浪士の最近の行動をとりあげて、助右衛門を「仇討が間近にせまっているのではないか」と問い詰める。助右衛門が口をわろうとしないので、綱豊は仇討を助けてやりたいという本心を覗かせる。
助右衛門は内蔵助の放蕩が世の目を欺く方便にちがいないというなら、綱豊自身も将軍の猜疑心を刺激しないために『作り阿呆』を演じているのではないかと反論する。かっとなって刀を抜きかけた綱豊だが、冷静になると「自分と同じように浪士たちも本心を明かすことはできないのだ」と納得する。
しかし綱豊は「お家再興を将軍に進言することを頼まれているが、それでも構わないのか」と助右衛門に尋ねる。切羽つまった助右衛門はついに御座の間へ駆け込んで、「お家再興の件を進めるのはやめていただきたい」と無言で訴える。綱豊は助右衛門の本心を悟り、満足して立ち去る。
助右衛門は「もしお家再興がなれば仇討は永久にかなわなくなる」と焦り、今晩のうちに吉良を殺そうと決心する。お喜世は綱豊に迷惑がかかるから、止めてほしいと必死で引きとめるが、助右衛門の決意が変わらないので、「今晩吉良が能でシテを演じる時に仇を討てるよう手引きしよう」と申し出る。
いよいよ能が始まり、槍をかまえた助右衛門は舞台の裏に身を隠して吉良を待つ。通りすぎようとする顔を半ば布で隠したシテを、助右衛門は槍で突く。だがそれは吉良ではなく、助右衛門の行動を予測していた綱豊だった。
綱豊は助右衛門に「復讐とは、吉良の命をとれば良いのではなくて、敵の身に迫るまでいかに至誠をつくすかだ」と諭す。内蔵助の気持ちまで推し量る綱豊の洞察力に感服した助右衛門は平伏し、号泣する。綱豊は何事もなかったかのように、能の舞台へ出て行く。
「南部坂雪の別れ」(なんぶざかゆきのわかれ)
第四幕
三次浅野家中屋敷
同 瑤泉院居間
同 門外
ここは内匠頭の未亡人が髪をおろし瑤泉院(ようぜんいん)と名をかえて住んでいる、赤坂南部坂の三次浅野家の中屋敷。今日12月13日は煤払いの日である。家中には仇討を迷惑に思う人びともいるが、奥家老の落合与右衛門は仇討の成就をかげながら願っている。
そんなところへ江戸へ下ったばかりの内蔵助が瑤泉院を訪ねてくる。周りの者たちは「すわ仇討か」と色めきたつ。瑤泉院は頼みの綱の内蔵助から仇討の決意を聞きたいと願うが、外へもれることを懸念する内蔵助は真意を語らない。
来年吉良が米沢に隠居する前に、ぜひとも仇をうってほしいと言う瑤泉院に内蔵助は、落合与右衛門に罵倒されてものらりくらりとするばかり。ついに瑤泉院は、焼香させてほしいという内蔵助の願いを拒否して、仏間にひっこんでしまう。しかたなく内蔵助は、しぶる落合に包みを預けて立ち去る。
屋敷を出た内蔵助に、酔った武士がつきあたる。それは赤穂浪士の仇討を日頃から援助しているが、いっこうにその気配がないのに業をにやした国学者・羽倉斎宮だった。羽倉に「腰抜け」と足蹴にされても、黙って耐える内蔵助。
羽倉がたちさった後、内蔵助が静かに歩みさろうとすると、屋敷から落合が転がり出てきて、手をついて内蔵助に詫びる。さきほどの包みの中は、仇討の決意を示す歌日記だったのだ。窓から顔を見せた瑤泉院もさきほどの態度を詫び「一旦の短慮に家を失いながら、そなたのような家来を持って殿様はお仕合せ」と涙にくれる。
そこへ寺坂吉右衛門が内匠頭の命日である、明日14日には吉良は確かに在宅しているという知らせを持ってくる。「暁天までには吉左右を」と今生の暇乞いをして去っていく内蔵助の後姿を、瑤泉院はいつまでも見送るのだった。
10月から3ヶ月にわたっておこなわれている国立劇場開場40周年記念公演「元禄忠臣蔵」。今月の第二部は坂田藤十郎の内蔵助で上演されました。
初めて見る「伏見撞木町」には「仮名手本忠臣蔵」の七段目「一力茶屋の場」を裏側からのぞいたような面白さがありました。内蔵助が目かくしされて廓の衆と鬼ごっこをしている場面は、七段目と同じで本歌どりといったところでしょうか。内蔵助の衣装も赤紫に白の小紋柄の羽織と着物というところも、七段目の由良助の濃い紫の衣装を連想させます。
幕開きの笹屋の二階座敷で、屏風がとりはらわれて今まで隠れていた内蔵助と浮橋の姿がほの明るく見えてくる美しさには、心ひかれました。
ここで息子の主税に本心を語る内蔵助の言葉から、後の「御浜御殿」でとりあげられる「お家再興を幕府に願い出てしまったためにうかつに仇討ができなくなった事情」がよくわかります。内蔵助がなぜあんなにグズグズと同志でさえ真意を疑うような態度をとり続けていたのかが、明瞭に述べられています。
こってりした芸風の藤十郎ですから、新歌舞伎にはどうかなとおもっていたのですが抑制された演技を見せ、思ったほどの違和感はなかったです。ただ一箇所南部坂雪の別れで、瑤泉院に亡き主君への焼香を願い出て断られた時、興奮して何を言っているのかわからなくなったところは、やはり藤十郎らしいなと思いました。
愛之助は「伏見撞木町」の主税より「南部坂」の羽倉斎宮の方が、良いように感じました。愛之助はたしかに甘いマスクの二枚目ですが、なよなよした役よりも線の太いものが合うのではと「義賢最期」を見て以来思っています。遊女浮橋を演じた秀太郎のしどけない風情はこの人ならではのもの。亀鶴の不破数右衛門の力強さが目をひきました。
「御浜御殿綱豊卿」は梅玉の綱豊卿、魁春の江島、扇雀のお喜世、翫雀の助右衛門で上演されました。梅玉は最初のうち、フレーズの終わりを同じようにあげていたのが気になりましたが、だんだん調子がでてきて最後の方では綱豊の人物の大きさが感じられました。翫雀の助右衛門には大名の前に出た神妙さがあまりにも足りない気がしましたが、口跡は申し分なく良かったです。
しかし初めの「江戸城の刃傷」から順を追って見てきたためか、何度も見た「御浜御殿」の内容が今回は細部にいたるまでよく理解でき、これこそ通し上演の効果ではないかと思いました。
「南部坂雪の別れ」では時蔵の浅野内匠頭の未亡人・瑤泉院(ようぜんいん)が、敵を討ってくれると信じていた内蔵助にその気がないのかと失望し、焼香を許さなかったけれど、内蔵助が置いていった歌日記から仇討の決意を知り、心から内蔵助に詫びるという気持ちの動きを自然に表現していました。腰元おうめを演じた吉弥も印象に残りました。
「元禄忠臣蔵」はいよいよ佳境に入ってきたというところで、来月が待ち遠しく思われます。
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