夕霧名残の正月 坂田藤十郎襲名 2005.12.8

京都南座顔見世興行、3日の夜の部、4日の昼の部を見てきました。

主な配役
伊左衛門 坂田藤十郎
扇屋夕霧 雀右衛門
扇屋三郎兵衛 我當
女房おふさ 秀太郎
鶴七 進之介
亀八 愛之助

「夕霧名残の正月」のあらすじ
大阪新地にある扇屋では、抱えの遊女夕霧が亡くなって、今日はその四十九日。夕霧を偲んで広間に形見の打掛を飾り、法要の支度をしている。

扇屋の主人三郎兵衛とおふさが夕霧の早すぎる死を悲しみ、夕霧の恋人藤屋伊左衛門の身を案じている。放蕩の末、大阪でも屈指の豪商である実家から勘当されて、その上夕霧の死に目にも会えなかった伊左衛門だった。

二人が立ち去った後、紙衣に身をやつした伊左衛門がやってくる。通りかかった太鼓持の鶴七と亀八の二人から、夕霧がなくなって今日はその四十九日だと聞かされた伊左衛門は死に目に会えなかった事を悲しみ、せめて供養にと夕霧と交わした起請文を取り出して念仏を唱える。すると伊左衛門は突然気を失い、打掛の陰から夕霧が姿を現す。

二人は再会を喜び昔を偲ぶが、やがて夕霧の姿は再び消えうせる。扇屋三郎兵衛とおふさの声で気がついた伊左衛門は、夕霧とばかり思ったのは形見の打掛だったと知る。だがたとえ夢の中でも夕霧と会えたことを喜ぶ伊左衛門だった。

初代坂田藤十郎は和事の創始者として知られ、特に代表的な役が傾城夕霧との情話で有名な藤屋伊左衛門。その第一作「夕霧名残の正月」は1678年、夕霧がなくなった翌月に初演されたといわれていますが、台本が残っていないので、詳しい内容はわかりません。

そういうわけで今回のお芝居は、先行作品を参考に、初期の夕霧伊左衛門ものに採り入れられた小唄「ゆかりの月」を副題として、今井豊茂脚本で常磐津を地にした舞踊劇に構成されたものだということです。

舞台の上に能舞台のような下手に橋掛かりのある舞台が造られているのがまず目をひきます。舞台の両側の柱には「夕霧名残の正月」「坂田藤十郎相勤め申し候」と書いてあり、古風な造りです。扇屋主人と女将が引っ込むと上手に設けられた屋体の御簾があがり、連獅子の合狂言で用いるような頭巾を被った常磐津連中が姿を現します。

それに誘われるように橋掛かりから浅葱色に白の流水と緑の木の葉の裾模様で、肩に「月」と大きく書いてある本物の紙衣を着た伊左衛門が登場します。この衣装は布とはやはり風合いが違ってごわっとした感じがして素朴な趣がありました。

掛けてある夕霧の打掛の後ろからセリで雀右衛門の夕霧が出てきますが、伊達兵庫の鬢がほつれていて、亡霊だということがわかります。この二人のやりとりは品がよくしっとりとしていました。

夕霧の姿が消えると扇屋主人三郎兵衛の我當とおふさの秀太郎が出てきて、三人で劇中の襲名口上を述べました。このお芝居そのものも比較的短く、案外あっさりとした味わいのものでしたが、初代藤十郎の昔を偲ぶなかなか格調ある一幕だったと思います。

昼の部(4日)はこの他に「車引」の主人公をそれぞれの奥さんに変えた趣向の舞踊「女車引」。魁春の千代、孝太郎の八重、扇雀の春が「賀の祝」にある料理をするところを見せたりする面白い踊りで楽しめました。

「夕霧名残の正月」に続いて吉右衛門の五斗兵衛で「義経腰越状」。悪人たちの計略に嵌り大酒を飲んだために義経の面接をしくじり、案山子のような竹田奴たちをあしらいながら引っこんでいくユーモラスな豪傑五斗兵衛を、吉右衛門はおおらかに演じていました。泉三郎の梅玉、亀井の松緑、伊達、錦戸の歌昇、歌六兄弟も役にはまっていて、見ごたえがありました。

その次に仁左衛門の舞踊「文屋」と菊五郎、菊之助の「京人形」。「文屋」は「身替座禅」の右京を思い出させるおどけた踊りで、仁左衛門にはこういうものも似合うと思います。立役専門の菊十郎、松之助たちが演じる官女たちも思いきりが良くて愉快でした。

「京人形」では人形の菊之助が姿を見せると、客席からジワがくるほど本当に美しい人形でした。甚五郎を真似て男のような振りをしても裾さばきなどが綺麗で、親子でぴったりと息が合った踊りを見せてくれました。

昼の部の最後は新・藤十郎のお初で「曽根崎心中」。自ら初演して以来50年以上、最初の相手役は父、そして今は息子の翫雀の徳兵衛で演じるという、思えばすごい話です。今回は興奮したお初の口調がせわしなく上ずっていて、よく聞き取れなかったのが少々気になりました。敵役の九平次を演じた亀鶴のなかなかの男ぶりが印象に残りました。

夜の部(3日)はまず梅玉の南方十字兵衛、扇雀のお早、我當の濡髪、東蔵のお幸で「引窓」。

次が坂田藤十郎襲名口上の一幕。ちょうどこの夜は口上幕から小泉首相も観劇され、仁左衛門さんや菊五郎さんが「歌舞伎にも改革が必要だ!」など、小泉語録を借りてご挨拶なさっていらっしゃいました。

続いて新・藤十郎の八重垣姫、菊五郎の蓑作、秀太郎の濡衣で「十種香」と「奥庭」。黒塗りの御殿で瓦燈口、池や渡り廊下などはなくて、じかに上手障子屋体がついているという舞台でした。

「奥庭」は人形振りで演じられ、翫雀が人形遣いを担当。藤十郎が想像以上に身の軽いところを見せ、最後は人間に戻り、二匹の狐(ぬいぐるみ)と二つの焼酎火とともに花道を華やかに引っ込んでいきました。吉右衛門の謙信、仁左衛門の原小文治、梅玉の白須賀六郎という顔見世かつ襲名公演らしい豪華な舞台でした。

大喜利は舞踊「相生獅子」と「三人形」。芝雀と菊之助の二人が踊った相生獅子は二人が顔を合わせる様子が姉妹のようで可愛らしく、なごやかな雰囲気でした。以前見た別な組み合わせの「相生獅子」が二人の競争のようで、息苦しかったのと比べると大きな違いを感じました。

孝太郎の傾城、愛之助の若衆、松緑の奴の「三人形」で賑やかに終わりました。


この日の大向こう

3日は最初のうちは会の方がお二人、控えめに掛けていらっしゃいました。口上になると急に大向こうの方が増えて、上方式の長く尾をひく掛け声が威勢よく聞こえ始め、襲名興行らしく華やかになりました。

大きな打ち上げ花火が消えていくような上方式の掛け方は、聞きなれるとなかなか素敵なものです。しかしながら「山城屋」という掛け声はたくさん掛かっていましたが、あまり先代と離れてしまっているためか「四代目」と言う声はほとんど聞こえませんでした。


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