天衣紛上野初花 河内山と直侍 2005.12.25 W131

21日、国立劇場へ行ってきました。

主な配役
河内山 幸四郎
直次郎 染五郎
三千歳 時蔵
暗闇の丑松 市蔵
丈賀 芦燕
松江候 彦三郎
浪路 宗之助
金子市之丞 左團次
数馬 高麗蔵
高木小左衛門 段四郎

「天衣紛上野初花」のあらすじはこちらをご覧下さい。

一昨年の11月には同じ国立劇場で「天衣紛上野初花」の通しを幸四郎が河内山と直次郎の二役を早替わりで演じましたが、今回は河内山を幸四郎、直次郎は染五郎が初役で演じました。

今回一番注目したのが、金子市之丞が最後の大口屋の寮の場に出てきて、「三千歳を身請けはしたが、直次郎と一緒になるがよい」と言って、年季証文と臍緒書きを投げ捨てて行く場面です。

この場面は一昨年の通し上演でもカットされていて今回初めてみましたが、実は金子市之丞が三千歳の兄だったということがわかる大事なところで、この場面があることで黙阿弥らしい因果話になり、お芝居全体の印象が違って見えました。市之丞の左團次がこの屈折した役を渋く演じていました。

それと二幕目の三千歳部屋の場の前に、一作年には出なかった「吉原大口二階廻し座敷の場」が追加されていました。ここで重要なのは、「直次郎のためにした借金が返せず追い詰められた三千歳が心中を持ちかけるのに、直次郎はあくまで悪事で一山あてようと思案している」ことです。

「雪暮夜入谷畦道」を見ただけではわからない三千歳と直侍の関係が、とてもよく判ります。廻し部屋ではまるで布団部屋のように片隅に積んであった布団が、三千歳の部屋では押入れの中に入っていて前に幅の狭い布がスクリーンのように下ろしてあったのも面白い風景でした。

三千歳の時蔵は人生に疲れた感じをよく表わしていました。けれど「三日会わねば」からの二人の色模様は、幸四郎とのペアの方がしっくり合っていたように思いました。

幸四郎の河内山は前回にもまして、アウトローらしく暗い感じを強調していたようでしたが、最初のうちはともかく、松江邸で見顕されたあとの長科白にはもっと江戸っ子らしいシャキッとしたところがあって欲しかったと思います。

河内山に「馬鹿め!」と一喝された松江候の彦三郎が、かっとして襖の奥から二三歩走り出ようとしたのは、初めて見る演出でした。

直侍の染五郎には月代の伸びた鬘がよく似合い、二枚目と呼ぶにふさわしい役者です。けれど「蕎麦屋の場」の出は、国立劇場の花道が歌舞伎座の花道より1メートルちょっと長いためかもしれませんが、歩き方が早すぎるように感じました。

幸四郎と同じく、この時かぶっていた手拭を再び被る時楽だからか糸でとめてあったようですが、そういうちょっとした仕草を粋に鮮やかに見せる事こそ芸というものなのではないでしょうか。蕎麦屋の直侍の出とこの手拭の扱いは、菊五郎が一番だと思います。

最後まで見終わってちょっと不満に感じたのが、直次郎の最後の叫び「三千歳、もうこの世ではあわれねぇぞ」がカットされていたことです。幸四郎一人二役のときは直次郎がこの科白を言って立ち去ってから、河内山が本舞台に現れ心配気に見送っていました。

今回は直次郎に追いすがろうとする三千歳を河内山が出てきて引き止め、「三千歳はおれにまかせろ」と言うので、直次郎はなごり惜しそうに花道を走って入っていくのですが、これではなんだか河内山が二人の恋人の別れの邪魔をしているように見えてしまいました。

しかし幸四郎・染五郎親子共演による「天衣紛上野初花」、筋がよく通っていて初めて見る人にも判りやすく、染五郎初役の直侍には花があって将来に期待がもてそうだと思いました。

この日の大向こう

平日の昼の公演でしたが、たくさんの方が声をかけていらっしゃいました。会の方も3人ほどいらしたのではと思います。

高木小左衛門が松江候に意見する「あなた様はなぁ」の科白の後に「澤瀉屋」と掛かっていましたが、「まぁ、お聞きくださりませ」などと同じようにこれから長科白が始まるという時に聞かれる、お決まりの科白だと思います。

河内山が松江邸の玄関から出て来ると、気の早い方から「まってました」と声が掛かっていました。

三千歳と直侍の色模様では二人が背中合わせに立って、手を握るところで「御両人」と声がかかりました。その後直次郎が下手で座って片足を出してふりむき、三千歳が斜め後ろ向きで極まるところでは、たくさん声が清元に重なって掛かり、ここでも「御両人」という声が聞こえました。

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