お国と五平 谷崎作品 2005.10.31

23日、御園座で行われている「勘三郎襲名公演」昼の部をみてきました。

主な配役
友之丞 三津五郎
五平 橋之助
お国 扇雀

「お国と五平」のあらすじ
広島の武家の後家・お国は夫の敵・池田友之丞を探すため、若党ながら剣の腕のたつ五平とともに仇討の旅に出たが、それからすでに3年の月日が経っている。

友之丞はお国の元許婚であったが、家老の息子にもかかわらず、剣術が下手で藩でも有名な臆病者。そんな友之丞に愛想をつかして、お国は夫・伊織の元へ嫁いだのだったが、それをうらんだ友之丞は卑怯にも、伊織を闇討ちで殺害し、逐電したのだ。

子供を国元へ残して旅にでたお国は、旅の疲れが出て宇都宮で倒れ、2ヶ月間も動くことが出来なかったが、五平の献身的な介抱でようやく良くなり旅を再開したところだ。

ここは一面に薄が生い茂る秋の那須野が原。もうじき日も暮れるというのに、病み上がりのお国は疲れて歩き続けることが出来ない。お国が足に出来た豆を五平に手当てしてもらいながら休んでいると、遠くから尺八の音が聞こえてくる。

「もしやあの尺八は友之丞ではないか」と不安に思うお国に、五平は「宇都宮の宿で毎日窓の下に来た虚無僧の顔を検めたが、別人だったではありませんか」と言う。

しかし姿をあらわした虚無僧に、五平が顔を見せるように頼むと、なんとそれはやはり敵の友之丞だった。さっそく立ち会おうとする二人に向かって、友之丞は命乞いをする。

お国への未練がどうしても断ち切れない友之丞は二人が国を出たときから、ずっと後をつけていて、二人が泊まった部屋の隣で息をひそめていたこともあれば、臥せっているお国に聞かせるために毎日尺八を吹いたのも自分だという。

そして友之丞は、お国と五平がもはや単に主従の関係ではあるまいと問いつめ、お国と五平を窮地に追い込む。せっぱつまった五平が一太刀あびせると、苦しい息の下から「実はお国と自分は、かって関係をもったことがあるのだ」と暴露する。そして、せめてお国の手で討たれたいと望むが、五平はそれを聞かずにとどめをさす。

五平は呆然としているお国を、こうするより仕方がなかったのだと説得し、二人は友之丞の遺骸に手を合わせるが、仇討という目的を失った二人はむなしさを感じながら薄の原にたたずむのだった。

谷崎潤一郎が1922年に発表した「お国と五平」は、1949年になって初めて歌舞伎で上演されました。自分勝手な理由でお国の夫を殺し、敵として追われているのを知りつつも、お国から離れることが出来なくて、ひそかに二人の隣の部屋に泊まったりする、うす気味の悪い性格の男、それが友之丞です。

しかしながら三津五郎が演じた友之丞は口跡がよすぎるせいか、言っている内容とは裏腹に理詰めな人物にみえ、どろどろした異常な執着というようなものは私にはあまり感じられませんでした。殺さないでくれと恥も外聞もなく頼む姿はどこか研ぎ辰とだぶってみえました。

この話が書かれた大正時代にはショッキングな話だったのかと思いますが、もっと異常で変質的な犯罪が日常化している現代では、あまりショックだとも新鮮だとも感じられなくなっているのかもしれません。

扇雀のお国は少々年増というかんじでしたが、五平に足を差し出す件などでは、いかにもすぐ間違いをおかしてしまいそうな人妻に見えました。しかし時々声がヒステリックになりすぎるのは聞きづらかったです。橋之助の五平は実直な若者という役によくあっていました。

背景に、友之丞の登場とともに下手よりに昇った普通サイズの三日月が、友之丞が死ぬ幕切れには大きく真っ赤になって舞台中央に昇っていたのが不気味で印象的でした。

勘三郎襲名口上では、舞台下手の隅に今年襲名した中村屋の弟子・源左衛門、山左衛門、鶴松の三人が座っていて最後に挨拶したのが、とても微笑ましかったです。勘三郎はいつもの猿若柿という卵色の裃ではなくて、筋書きの写真にある「芝居前」でも着ていた渋い鼠色の格子模様のような裃でした。

その次が勘三郎、勘太郎、七之助三人の連獅子。一人多くては絵にならないのではと思いましたが、三人の息がぴったりあっていて、ことに最後の毛ぶりが三人ぴったりと一致していたのは、本当に見事でした。いつもはたしか子獅子一人だけが後ろ向きで引っ込むところを、なんと三人揃って、花道を後ろ向きのまま揚幕へ小走りに入っていったのも驚きでしたが、鳥屋の中ではどうなったかとちょっと心配になりました。

最後が仁左衛門の河内山。一昨年歌舞伎座でやったときよりも、江戸っ子らしさが板についていたように思い「江戸っ子は気が短けぇんだ。早くしてくれ。よぅ」というセリフにも抵抗は感じられませんでした。

「悪に強きは善にもと・・・」の名セリフはたっぷりと気持ちよく聞かせてくれましたが、声が少ししゃがれていたのだけが残念でした。「仕掛けた仕事の曰く窓」のところを、見ている人によくわかるようにか窓を指しながら言いましたが、あまり丁寧にやるのは江戸っ子らしくないと感じました。

三津五郎の松江候は、いかにも神経質で癇ばしった人物らしく見え、ぴったりでした。松江候が見ていると気がついた河内山が「馬鹿め!」と一喝するところでは、くやしがっているようなそぶりが見えなかったのがちょっと不思議でした。

この日の大向こう

前日よりは声を掛ける方が少なかったようで会の方は3人ということでした。

名古屋は見巧者の方が多い土地と聞いていましたが、御園座では、「〜屋」という掛け声が多く聞かれ、中村屋に「十八代」という声が聞こえたくらいで、総じて間の良いところできっちりと掛かっていたという印象を受けました。


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