連獅子 比叡山薪歌舞伎 2005.8.9

5日、比叡山延暦寺で行われた薪歌舞伎をみてきました。

主な配役
狂言師右近 仁左衛門
狂言師左近 壱太郎
浄土僧専念 鶴亀
法華僧日門 翫雀

「連獅子」のあらすじ
文殊菩薩の住む天竺清涼山には、険しい岩が聳え立っている。そこには岩でできた石橋(しゃっきょう)がまるで虹のように虚空へかかっていて、やってくるものを阻んでいる。その石橋を文殊菩薩のおつかいの獅子たちが護っている。

登場した狂言師右近と左近は獅子頭を手に持ち、この情景を踊る。(前シテ)

突然、親獅子が子獅子を谷へと蹴落とそうとする。獅子は子供を谷へ蹴落として、上って来た子だけを育てるという言い伝えがあるのだ。子獅子は落ちそうになりながらもまた登ってくるが、親獅子は容赦なく再び子獅子を深い谷へと蹴落とす。

子獅子がしばらく木陰で休んでいると、親獅子は子獅子が本当に谷へ落ちてしまったかと案じて谷を覗き込む。川面に映ったその姿を見て、子獅子はまた勇敢に谷を駆け上がる。親子は無事を喜びあう。飛んできた蝶々を追って親獅子と子獅子は引っ込む。

ここへ念仏僧と法華僧が登場する。彼らは音に聞こえた石橋を渡ろうとやってきたのだ。道連れになったものの、お互いに自分の修派がすぐれているといって、言い争う。(間狂言)

彼らが去ると、白い毛の親獅子の精と赤い毛の子獅子の精が乗り移った狂言師右近と左近が現れ、牡丹の花と戯れながら、毛を振りつつ勇壮な姿で踊るのだった。(後シテ)

比叡山へ登って行く途中、激しい夕立になったので雨の中の観劇を覚悟していましたが、着いてみたら全く降った跡もなく、下界より少しは温度が低いものの蒸し暑く感じられました。けれども「連獅子」が始まるころから涼しい風が吹き始め、蜩の声がいつの間にか虫の声に代わって舞台を引き立てていました。

河竹黙阿弥作「連獅子」を仁左衛門は過去に三度踊っていて、いずれも息子の孝太郎が子獅子を勤めたそうです。今回は翫雀の息子で若干15歳の壱太郎(かずたろう)が子獅子を勤めるというのにも、興味がわきました。

仁左衛門の親獅子はきりっとした姿が大きくて美しく、動きがきびきびとしていて期待したとおりの素晴らしい獅子。荒々しい隈のぼかし加減も絶妙でした。

壱太郎の子獅子は、とても真面目に一生懸命勤めていて、好感がもてました。素顔からはちょっと想像できないほど塗った顔が良く、まだ少年と言って良いほどの年なのに目が効いていて印象的。

花道がほとんど中央に造ってあったため、子獅子が木陰で休む時にいつもの花道七三ではなく舞台下手で休みましたが、このときの壱太郎、もっと思い切ってバンと極めても良かったかなと思います。

間狂言の翫雀と鶴亀の二人のやりとりは、テンポと歯切れがよくて狂言「宗論」からとったというこの部分の面白さが充分に味わえました。

後シテで登場した親獅子と子獅子の精は、石橋を模した二畳台(普通と違って3つを橋のように重ねてある)の上から下へと毛を振りながら移動して入れ替りましたが、舞台が狭いので大変だろうと思いました。

幕がないため最後は中央の花道から、まず子獅子の壱太郎、そしてすでに夕闇の濃い中、一すじのスポットライトをあびながら親獅子の仁左衛門が粛々と通り過ぎていった姿は崇高にさえ感じられました。

この公演はNHKの葛西聖司アナウンサーの司会で進行したのも、ちょっと珍しかったです。

短い休憩をはさんで最澄の晩年から入寂までを描いた創作歌舞伎、鴈治郎の「永久の燈火」(とわのともしび)が上演されました。

この休憩の前にこの芝居の題名にもなった比叡山に1200年間営々と受け継がれてきた「燈火」がお坊さん二人によって舞台の下、上手と下手にある二基の篝火に点火されました。ところがこれが建物に燃え移ったのではないかと心配になるくらい、もくもくとすごい煙。

と思ったらこのスモークはオープニングのレーザー光線を効果的に見せるためのものだったようです。レーザー光線はスーパー歌舞伎よりもずっと派手な使われ方でした。大道具がほとんどない舞台で、ストーリーも地味なことを考えた上でのレーザーの使用かと思いますが、この芝居にはそぐわないように私には感じられました。

舞台は白と朱色の塔と阿弥陀堂をつなぐ橋のような建物をバックに作られていました。その建物を鴈治郎の最澄がすばやく移動するところでは、先日見た「研辰」を思わせるような吹き替えが使われていましたし、最澄が苦しむところでは平成中村座の「夏祭」の泥場で用いられたような沢山のカンテラで下から照らしてみせたり、あちこちに最近の芝居を連想させる手法が取り入れられていました。

女優、尾上紫が宮廷からの使い広子を演じたり、村の衆の踊りをたくさんの女性の踊手が踊ったのも最近の歌舞伎としては異例のこと。

最澄が入寂(亡くなった)した時、ジグザグに客席の上を走っているレーザー光線にそって何か50センチくらいのリボン状のものがすごい速さで客席の後ろへと飛んでいったのは、最澄の魂が飛び去ったところを表わしているのだろうと思いましたが、全く驚きました。

最後にカーテンコールがありましたが、その音楽がお囃子のようににぎやかで、最後まで静かに終わったほうが良かったのではと思います。この芝居は始めと終わりにシンセサイザーの音楽が使われ、中間は長唄連中が新作の唄を唄っていました。そういえば開場してから開演までの時間、ずっと静かなクラシック音楽が客席に流れていたのも初めての経験ですが、こちらはさして違和感がありませんでした。

最澄に敵対する法師を竹三郎が演じましたが、いつもは女形が多い竹三郎の鬼気迫る演技がよかったです。

この日の大向こう

声を掛けるかたはあまり多くありませんでしたが、1〜2人会の方がいらしていたようで、後方から長く尾をひく上方風の声が掛かっていました。

お隣に座っていた年配の男性が、「連獅子」で良い形が極まると「ああ、きれいやな」とか「立派だ」とかつぶやいていらっしゃいましたが、親獅子が花道を粛々と引っ込んでいく時、「まつしまや〜」と感嘆したような声をかけられていたのが、印象的でした。

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