沼津 大阪の襲名公演 2005.8.4

大阪松竹座で勘三郎襲名公演の7月23日夜の部、24日昼の部を見てきました。

主な配役
十兵衛 仁左衛門
お米 福助
平作 勘三郎

「沼津」ー「伊賀越道中双六」のあらすじはこちらをご覧下さい。

三ヶ月続いた歌舞伎座での「勘三郎襲名公演」の後、一ヶ月のお休みをはさんでの襲名公演。席は全部売り切れで二階にまで補助席が出る大盛況でした。

夜と昼通して一番印象に残ったのは昼の部の最後に演じられた「沼津」でした。前回2001年に歌舞伎座で勘九郎が初役で平作をやったのを見ましたが、そのときも今回と同じく前に「藤娘」を踊っています。

勘三郎の藤娘はふっくらとして本当に可愛らしく、この藤娘を演じた後だからこそ思い切った老け役が出来るのではないかしらと思いました。余談ながら岳父の芝翫は藤娘の時、自分を小さく見せるためだと思いますが着物の裏地に疋田鹿の子を拡大したような柄を使いますが、勘三郎は白地に流水?を銀で描いたおとなしいものを使っていました。

前回はおじいさんの平作のよたよたした歩きっぷりなどを強調して、笑いをとるような感じがありましたが、今回はしっとりと落ち着いていたように思います。

とはいえ、十兵衛との愉快な掛け合いで進む場内一周のところなどは和気藹々としていて雰囲気がよく、「伊賀越」の中でいつも「沼津」だけが取り上げられるのも道理です。

仁左衛門の十兵衛は、道明寺の菅丞相、荒川の佐吉などと並んで、私が仁左衛門ならではの味を感じる役柄です。十兵衛の情がにじみ出ていて、平作は生き別れた息子がこのように暖かな人情をわきまえた人間に育ったと知って、どんなにか嬉しかっただろうと見ていて思うのです。

平作を説得しようとする十兵衛が、暗闇の中手探りで自分の道中脇差に平作の手をのせるところは、文楽の玉男の十兵衛と全く同じでしたので、これは文楽からきた型なのかもしれないと思いました。

福助のお米は楚々としていましたが、花魁だったという雰囲気があまり感じられませんでした。十兵衛の所持している印籠を夫のために盗もうかと逡巡するところではずっと座ったままで、入り口のところへ立って懐手する型ではありませんでしたが、あれは遊女らしい風情がある型なので見たかったと思いました。昂ぶると声が悲鳴のようになってせりふが聞き取れなくなってしまうのも、美しい役者さんだけに残念です。

昼の部の最初は「寿曽我対面」。橋之助の工藤の顔がとても立派でした。染五郎初役の五郎は懸命に演じていましたが、ちょっと力みすぎて声がひっくり返り、見ていて辛かったです。同じく初役の勘太郎の十郎はほどよい柔らかさが良かったです。梶原親子を今回襲名した源左衛門山左衛門とが演じていたのと、孝太郎の舞鶴が印象に残りました。

次に舞踊で三津五郎の「源太」と勘三郎の「藤娘」。箙に梅の衣装を着た三津五郎の踊りは端正という言葉を連想させました。その後勘三郎襲名の口上幕があり総勢18人の役者さんが口上を述べました。

夜の部は幹部総出演の「宮島のだんまり」と鴈治郎の「大津絵道成寺」。「宮島のだんまり」では劇中で芝翫、勘三郎、仁左衛門の三人による襲名口上がありました。

芝翫の袈裟太郎が一度すっぽんから姿を消し、勘三郎の大江広元が二段にのって全員で絵面の見得で幕になってから、再び座頭の芝翫がすっぽんから登場し、からみとのやり取りの後、傾城六方で引っ込んでいきました。

「大津絵道成寺」では鴈治郎がいろいろな絵の中に描かれた人物に扮して道成寺を踊りました。扇乃丞の可愛い犬、鶴亀の弁慶や押し戻しには翫雀の矢の根の五郎まで登場する楽しい踊りです。鴈治郎が藤娘姿で踊った時に、三段重ねで一番上が緑の葉でオーストリッチの皮のようにボコボコと藤の花が笠についていて、一番下にはちょっと枝が飛び出しているような変わった笠を持って出てきましたが、なんとも奇妙なものでした。

最後は「研辰の討たれ」。松竹座の舞台は歌舞伎座よりもずっと幅が狭く、サイズがちょうど良いためもあってか、芝居が浮つかず、全員が気持ちの良い緊張感を保ったままだれることなく、良いテンポで演じていました。

義太夫が清太夫から鳴門太夫に代わったほかは、ほとんど全員5月公演と同じメンバーだったようで芝居として練れてきたように感じます。宿屋の場ではタイガース柄のバスタオルを巻いた客が登場したりご当地ネタもところどころに挿入されていました。

辰次が劇場中を逃げ回るところではまず三階席、ついで二階席にも出没していましたが、三階では手拭を被っていたので、もしかすると吹き替えかもと思いました。最後にいまや「研辰」につきものとなったカーテンコールが一回ありました。

大阪の襲名公演は勘三郎が持ち味を存分に発揮できる演目が並んで、とても楽しい舞台でした。

 

23日夜の部は声を掛ける方があまり多くなく、3〜4人の方が掛けていらっしゃいました。会の方も最初2人いらしたのが、だんだん減って研辰の時はゼロになったそうです。

24日は口上幕があるためか、掛け声も華やかで会の方も5人くらいみえていたということです。「なかむらや〜〜」と尾をひくような上方風の掛け声があちこちから気持ちよく響いていました。

「大津絵道成寺」の「誰れに見しょとて紅かねつきょぞ」の前で「まってました」と声が掛かり、「沼津」の大詰めで腹を切った平作の手を十兵衛が暗闇で探り当てた時には、小さく短く「御両人」と声が掛かりました。


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