源太勘當 海老蔵の敵役 2004.4.12

7日、歌舞伎座昼の部へ行ってきました。

主な配役
源太 勘太郎
千鳥 芝のぶ
平次 海老蔵
延寿 秀太郎

「源太勘當」(げんだかんどう)のあらすじ
源頼朝は木曽義仲討伐を弟たちに命じた。梶原平三景時は長男の源太景季とともに出陣したが、次男の平次は仮病を使って残る。というのも兄の恋人、腰元の千鳥を、そのすきに横取りしようと言う魂胆なのだ。臆病な上に意地が悪い平次は兄を陥れて家督を手にいれようと狙っている。

ここは鎌倉の景時の館。平次の部下、横須賀軍内が景時からの書状を持ってやってくる。それには宇治川の合戦で源太が佐々木高綱と先陣を争った末、遅れをとったことに腹をたてた景時が源太に切腹を命じるということが書かれていた。それを聞いた平次はこれで家督も千鳥も自分のものだと喜ぶ。

帰館した源太が母の前で先陣争いの模様を話し始めると、平次は源太が後れをとったことを責めたて、父の命令どおりに源太を切腹させるようにと母に迫る。

しびれを切らした平次は源太に切りかかるがあっというまに投げ飛ばされ、すごすごと逃げ出す。母と二人きりになった源太は先陣争いの真相を話し始める。

実は合戦が始まる前に、勝ち負けを占おうとした父・景時の矢が、あやまって大将の白旗に当たってしまい、申し訳に切腹しようとした景時だが、佐々木高綱のとりなしで死なず済んだという出来事があった。

父の受けた恩を返すために源太は先陣の手柄を高綱にゆずったのだ。母に全てを語った景季は切腹しようとするが、母は死んでは主君に申し訳がたたないと諭す。

そこへ軍内が現れ、景時の書状どおりに源太を切腹させるよういうが、母延寿は「阿呆払いにするのが当然」と源太の衣服大小をとりあげ、古布子に荒縄の帯という姿にして勘當を言い渡す。

皆がその姿を見て大笑いするなか、母は平次に向かって「西国へ向かって戦功をたてよ」というが、実のところは源太への励ましだった。

母が奥へ引っ込むと平次と軍内らは源太に切りかかるが、反対に散々に打ちのめされる。立ち去ろうとする源太に母は選別と鎧兜を与える。その鎧櫃の中には、恋人の千鳥が入っていた。源太は母の情けに感謝して千鳥と共に館を立ち去るのだった。

文耕堂、三好松洛ら合作の浄瑠璃「ひらかな盛衰記」の二段目「源太勘當」は歌舞伎座では11年ぶりで、同じ「ひらかな盛衰記」の中でも「逆櫓」にくらべて上演機会が少ない場です。

勘太郎の源太は先陣問答や、その後母に先陣争いに負けた本当のわけを話して聞かせるところが情があって上手く、その後裃をはぎとられて粗末な着物に荒縄を帯がわりに結んで出てきたところも色男の雰囲気が出ていて良かったです。七之助に代わりに抜擢された芝のぶの千鳥も印象に残りました。

面白かったのは海老蔵が敵役の平次をやっていたことで、襲名興行でなくては見られない配役かと思います。強面だけれど甘ったれで弱虫という滑稽な役をのびのびと演じていました。寺子屋の松王のような五十日鬘に病鉢巻も似合っていて、役柄は全然違いますが松王も見てみたくなります。

今月昼の部の襲名演目は「京鹿子娘道成寺」でした。花道の勘三郎演じる白拍子花子の、ちょっとぼってりした顔が古風で良いなと思いました。今では立役の方が増えてしまった勘三郎ですが、女形には他の人にない魅力を感じるので、これからも演じて欲しいです。

所化には芝翫をはじめとして27人が並び、芝翫が金の烏帽子を勘三郎に渡すところは、「吉田屋」の「紙衣ゆずり」を思いださせ、初演時にこの踊りを教えたという岳父芝翫から勘三郎への芸の継承というものを感じました。

今回この「道成寺」に、東京では23年ぶりという團十郎の押戻しがついたので、最後にいつものように後ろから鐘の上に登らずに本当に鐘の下に入ってしまったのが目をひきました。

暫のように揚幕から声を掛けて登場した團十郎の、菱皮の鬘に赤い鋲打ちの胴着、太い竹を手にもった左馬阿五郎が、花道七三で清姫の霊となった勘三郎と一緒に五つ頭の見得をしたところは、まさに錦絵のような美しさ。襲名公演ならではの豪勢な舞台でした。

「与話情浮名横櫛」の仁左衛門の与三郎は「見染の場」でお富に見ほれてぼ〜っとなり、羽織が落ちたのにも気がつかないという「羽織落とし」が実に芸術的手際のよさであざやかだと思いました。

羽織落としは、まず花道で酔っ払いにぶつかられ羽織の紐が切れる時から始まりますが、ここでかなり羽織をずらしてしまい、中途半端にひっかけたまま動き回るのが大変不自然に感じられる方もいます。

酔っ払いにぶつかられたあとで金五郎の後ろで細工する方もあり、皆さんとても苦労しているように思われます。

仁左衛門はここで羽織のひもを切らせるだけにして、その後落ちかかった羽織を一旦軽く戻しておいて、お富とぶつかったその瞬間に羽織をすっとずらしたようです。というわけであの技巧的ともいえる羽織落としがいかにも自然に美しく演じられていました。

切られ与三の姿の良さは天下一品。見染の場の大店の坊ちゃんぶりといい、「源氏店」の「切られ与三(よそう)と異名をとり」のところの十五代目風の照れたような台詞廻しといい、仁左衛門は自らの与三郎像を確立したようです。

玉三郎のお富も水も滴るような仇っぽい美人そのものでした。

左團次の蝙蝠安は彼独特のとぼけた味わいがよかったですが、あんまり悪党らしいところはなかったです。与三郎に「その一分はけぇしちめえな。」と言われて、「えっ、これをけぇしちゃうのか」と応えたのにはちょっとひっかりました。勘三郎が鳶頭・金五郎で「見染の場」に登場し、客席を沸かせていました。

この日の大向こう

残念ながらこの日は大向こうが聞こえにくい席でしたが、会の方は5人ほどいらしていたということです。田中さんもいらしてました。

源氏店では与三郎が座敷に上って、後ろへ体をそらせた時、「まってました」と声が掛かり、それ以後は掛かりませんでした。与三郎とお富が揃ってツケいりで極まるところは、「大和屋」「松嶋屋」とツケの一つ一つで声が掛かっていました。

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