一條大蔵譚 十八代目勘三郎襲名 3005.3.8

3日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
一條大蔵卿 勘三郎
吉岡鬼次郎 仁左衛門
お京 玉三郎
鳴瀬 小山三
八剣勘解由 源左衛門
常盤御前 雀右衛門

「一條大蔵譚」(いちじょうおおくらものがたり)のあらすじ
これまで
保元・平治の乱で源為義・義朝親子は平家に滅ぼされた。六韜三略の兵書を伝え、源氏代々の兵法師範を務めてきた吉岡家の三兄弟・鬼一、鬼次郎、鬼三太の三人も、今は心ならずも敵味方に分かれている。鬼次郎の妻お京は、義経の腹心の家来・武蔵坊弁慶の姉である。

平清盛は義朝の後室・常盤御前を、愛児3人の命と引き換えに強引に我が物にしたが、それを重盛に諌められ、常盤を都一のうつけ者として知られた一條大蔵卿に下げ渡した。

桧垣茶屋
鬼次郎夫婦は常盤が今でも源氏を忘れていないか本心を確かめようと考えていた。そこでお京は大蔵卿の家老・八剣勘解由の妻、鳴瀬に近づき桧垣茶屋のそばで、女狂言師として演能の帰りの大蔵卿一行を待ちうける。その場でお京をすっかり気にいった大蔵卿は召抱えることに決める。

奥殿
首尾よく大蔵卿の館に入り込んだお京の手引きで、鬼次郎が常盤御前の部屋近くへ忍んできてみると、噂どおり常盤は夜もすがら揚弓に夢中な様子。そんな常盤御前に、鬼次郎は落胆し名乗り出て常盤の忘恩を責め、弓をひったくって常盤をしたたか打ち据える。

しかし常盤は揚弓と見せかけて、連日清盛の像を矢で射ることで、平家調伏を行っていたのだ。それを知った鬼次郎夫婦は常盤に詫びる。

ところがそれを平家に内通するこの館の家老、八剣勘解由に聞かれてしまう。早速平家に知らせようとする勘解由に何者かが御簾の後ろから長刀で切りつける。

御簾が上ると、阿呆とばかり思っていた大蔵卿が凛々しく毅然とした様子で現れる。大蔵卿は元は源氏につながる身だが、平家にこびるのを嫌って、三十年来作り阿呆を装ってきたのだと語る。

最後まで金に執着する勘解由を討ち、源氏の重宝友切丸を鬼次郎に託し、「小松が枯れるのを待て」と言付けると、大蔵卿は平家を欺き通すため再び作り阿呆に戻るのだった。

十八代目勘三郎襲名公演の初日に行ってきました。いつもとは全く違う華やかな雰囲気のロビーや客席は、ご挨拶をする方たちであふれかえり、テレビで見かける顔もちらほら。東桟敷には芸者衆が勢ぞろいして、観客からの撮影依頼にも気軽に応じていました。

幕開けは勘太郎の猿若、福助の阿国で「猿若江戸の初櫓」。初代中村勘三郎の江戸下りと、中村座創設にまつわる話です。猿若座(後の中村座)には家の狂言として「猿若」という狂言が伝承されていたそうです。猿若というのは阿国歌舞伎の頃登場した道化役のことで、勘三郎の芸風がこれに由来しているのだということが理解できる演目でした。

引き手のいなくなった荷車を猿若が音頭を取って、役者衆が引くというのは、幕府の船「安宅丸」の操船の音頭取りを猿若勘三郎がつとめ、その褒美として中村座の柿、黒、白の定式幕をもらったという故事を象徴しているのかと思います。勘太郎は身体を惜しまず使って、切れの良い踊りを見せてくれました。

次が幸四郎の「俊寛」。丹左衛門の梅玉がすっきりとしていてとてもよかったと思いました。一つ変わっているなと思ったのは千鳥が船に乗せてもらえないので丹波少将が自分も島に残ると言い出したとき、俊寛や康頼が「それなら自分たちも残る」と言い出さないで、だまって見ていることです。

そこで瀬尾が俊寛に「おまえの妻の東屋は処刑された」と言い出すのですが、4人で「船に乗らない」とがんばっているのを引き離して引導を渡すのに比べて、必然性があまり感じられないように感じました。

船が出航したあと、思わず船を追いかけて海へ入ろうとする俊寛を、花道揚幕から浪布の波が押し寄せてきて、まるで生き物のように動いて陸へ追い返すのは、いつもながら素晴らしい演出だと思いますが、下手の袖で黒衣の人が花道に直角に紐を引いて波をコントロールしているのが見え、ああいうふうに操作するのかと納得できました。

お待ちかねの襲名口上は総勢19人で、芝翫が進行役を勤めました。幸四郎は先代が生きていたらと「哲明、よくやったね。でもこれからだよ。」と異色の祝辞を述べ、左團次の「先代は嫌なじじいでしてね。以心伝心で向こうも気に食わないガキだと思っていたようです。でもいつのころからか、大変可愛がっていただきました。」と期待通りのドッキリ発言。

最長老の又五郎は「嬉しくて・・・」と感極まり、福助は叔父として「勘太郎、七之助も何卒よろしく」と挨拶し、仁左衛門は「昔から実の兄弟のように仲良くしてきたので、胸が一杯で何もいえません」と声をつまらせていました。

勘三郎は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、襲名を機にハナから勉強しなおしたいと決意を語りました。

そして最後が勘三郎披露狂言の「一條大蔵譚」。この作品は1731年に初演された文耕堂、長谷川千四合作の時代浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」(きいちほうげんさんりゃくのまき)の四段目の切にあたり、歌舞伎では翌年に京と大阪で上演されました。先代勘三郎も襲名披露狂言にこれを演じています。

まず襲名ならではのごちそう、鬼次郎の仁左衛門とお京の玉三郎の二人が花道から出てくると、この二人が揃った華やかさと存在感に圧倒されました。

舞台中央にある門が開くと真っ先に登場した大蔵卿の新勘三郎は、持ち前の愛嬌たっぷり可愛らしいと思えるほどで、満場の視線を釘付けにしていました。

大蔵卿の花道の引っ込みでは、門のところで様子を伺っている鬼次郎と目があうところで、一瞬本性を見せるのかと思いましたが、ほとんど表情が変わらないように見え、あれなら扇で顔を隠す必用もないのではと思いました。

奥殿の場では、常盤御前の雀右衛門が美しく優しく品格があり、この役は誰にでも出来る役ではないというところを充分に見せました。

八剣勘解由を切って、奥から本当の姿を現した大蔵卿は美しくはあったけれども、毅然としたところが足らないように私には感じられました。そのため大蔵卿の糸にのっての見せ場ではちょっと退屈してしまいましたが、鬼次郎の科白になると仁左衛門が引き締めていたのが印象に残りました。大蔵卿が後でつくり阿呆に戻るところも、その効果が薄くて、あまり代わり映えがしないのは残念に思いました。

しかし初日のことですので、きっとどんどん進化していくことでしょう。楽日近くに出来たらもう一度見てみたいなと思います。

最後に大蔵卿が切り落とし抱えてきた勘解由の首ですが、はっきりと顔が見えるように包まれていて、観客にこれが首だということをわからるためなのかと思いますが、若干違和感がありました。先代のビデオを見ると布の隙間からちらっと顔が見える程度です。

勘三郎は首をしみじみと眺めるところで幕になっていましたが、首をボール遊びのようにほおり上げる狂気じみた演出の方が、この狂言には合っているように思います。

今回源左衛門を襲名した中村屋の古参役者助五郎が八剣勘解由を、同じく先代からの弟子・小山三が鳴瀬という、脇ながら重要な役を演じましたが、新勘三郎のこれまで支えてきてくれた人たちへの感謝の気持ちがあらわれていたように思います。新源左衛門は特に世話物には欠かせない良い役者なので、これからに期待したいと思います。

夢を次々と現実のものにしてきた新勘三郎、次の「いつか浅草の地に常設の小屋を作りたい」という希望もきっとかなえられることでしょう。いろんなことに挑戦しながらも、先祖からひきついだものもじっくりと消化して今まで気がつかなかった魅力を掘り起こして見せてくれる、より一層素晴らしい役者になってほしいと期待しています。

この日の大向こう

襲名興行の初日ということで大向こうの会の方も10人以上いらしていました。一般の方もたくさん声を掛けられていたようです。口上では「おめでとう」と言う声も聞こえました。「まかせとけ!」という声も掛かったそうです。(梅ねずさんより)

「俊寛」では千鳥の魁春のくどきで「軽い船が、重ろうか」の間で手をつく時に絶妙な間で田中さんの声が掛かりました。

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