鳴神 人間的な鳴神 2005.1.24 W100

14日、歌舞伎座夜の部へ行ってきました。

主な配役
鳴神上人 三津五郎
雲の絶間姫 時蔵
黒雲坊 桂三
白雲坊 秀調

「鳴神」のあらすじはこちらをご覧下さい。

三津五郎の鳴神は十年ぶり三度目ということですが、最初に総髪に白無垢姿でこちらを振り向いた時は、竜神を滝に封じ込めるような通力のある超人といった感じが薄く、多少印象が弱かったです。

ところが鳴神が絶間姫の話に引きこまれてきて、経机に「してして、どうじゃ」と頬杖をつくところあたりからの、三津五郎の自信にあふれた堂々たる科白まわしと所作には、好奇心がわいてくる様子が生き生きと表れていました。絶間姫の恋人と引き合いをする仕方噺につられて思わず壇上から転げ落ちるまでのなりゆきも、とても自然に思えました。

成田屋の鳴神が世間知らずの雲上人なのと比べると、三津五郎の鳴神は「くくり枕」の件から「どれ、地脈をとってみよう」というところに好色な下心がありありと透けて見えるのが愉快で、とても人間的な鳴神でした。

絶間姫に騙されたと判って「荒れ」になってからは、柱巻きなどの見得が格好良く極まり、まさに錦絵。隈取のぼかしも美しく、引っ込みの飛び六方も丸くて勢いがあり、痛快で大満足の鳴神でした。

ただ大岩から降りてくるところで、小股になってしまったのは鳴神らしくなかったと思います。この日だけかもしれませんが、杯を飲み干す時アルコールをとばすために吹いたのは、大酒のみの弁慶のようで、鳴神上人は今まで酒を飲んだことがないというのにと思いました。

絶間姫の時蔵は綺麗でしたし、要所要所でたっぷりと芝居をしていて、前回金丸座で見たときよりもさらに余裕のある演技でした。

次が吉右衛門の「土蜘」。吉右衛門の土蜘の精はさすがに豪快で、舞台が狭く感じられました。僧・智籌(ちちゅう)・実は蜘蛛の精の花道の出は能がかりの持ち上げるタイプの音のしない幕で、しかも七三へたどりつくまで花道に明かりがつきませんので客席の大部分はこの登場に気がつきませんでした。

この中で興味をもってみたのが、僧が怪しいものだと判った時に、戦支度のために芝翫の頼光の素襖の右袖を後見の芝のぶが竜神巻に巻き上げる様子です。幅が8センチ長さ50センチ程度の薄い板を芯にして手早くくるくると巻き上げていました。竜神巻は「俊寛」の瀬尾などがやっていますが、前からどうなっているのだろうと思っていましたので判ってすっきりしました。

怪しい僧が姿を消した後、また袖を元に戻していましたが、ちなみに普通はただ片袖をぬぐだけのようです。

最後が幸四郎初役の「魚屋宗五郎」。幸四郎の宗五郎は少しくどく思われました。長科白の大笑いのあと、「だがね、喜びあれば苦しみと」で調子があまりかわらなかったのには、ちょっと違和感がありました。時蔵のおはま、芦燕の朴訥な太兵衛、鐵之助の茶屋の女房、段四郎の家老が良かったです。

この日の大向こう

痛快な鳴神を演じた三津五郎さんにたくさんの声が掛かりました。会の方も3人見えていたようです。

この日は3階から女の方が二人声を掛けていらして、一人の方はいつも他の方が掛けられた後から、少し遅れて掛けられていたようでした。三津五郎さんに「十代目」と言う声がほとんど掛からなかったのはちょっと残念でした。

鳴神の花道の引っ込みに一階席の前のほうから女の方が「大和屋」「大当り」と掛けましたが、良い舞台でしたので掛けたくなる気持ちはよく判りました。

けれどこの方が、魚屋宗五郎の幸四郎さんが酔って小唄を歌うところで、「上手い!」と声を掛けられ、唄い終ったら「ようようよう!」とおっしゃったのにはびっくり。心からお芝居を楽しんでいらっしゃったのでしょうが、あまり歌舞伎には似合わない掛け声のように思いました。それに上演中のお連れの方とのおしゃべりが周りの顰蹙をかっていたのに、ご本人が気がつかれなかったのは残念です。

魚屋宗五郎の長科白「酔って言うんじゃございませんが・・・」の前に「まってました」と声が掛かっていました。

24日に幕見で再び「鳴神」だけを見た時もやっぱり「十代目」という声が掛からなかったので、花道の引っ込みツケ入りの大見得で皆さんが「大和屋」と掛けられた直後、「十代目」と掛けました。

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